【出戻り営業部編】ドイツ語、ロシア語、外務省
平成22年2月6日


  既述した様に、昭和50年の6月に配属された営業部には昔日の面影は全く無く、ノンビリムードを期待したこの古狸には「氷の微笑」の冷たさを「いや」っと言うほど浴びせられた事を書いたが、時間がたってみると、これが実に素晴らしい反面教師の役割を果たしていてくれた事に気付いた。あの時柔らかく迎えられたら多分何時までたっても役立たずのぼんくら課長で、そのうち体よく何処かに放り出されていただろう。 あの強烈な「氷の微笑」のお蔭で甘ったれた考えを吹っ飛ばす事が出来たし、「コンチクショウめ」との敵愾心も目覚めて、一日も早く皆なに追いつこうと頑張る様になった。

「俺はドイツ語はわからん」
 当時の営業部員は全員が語学の達者な者ばかりで、私のように聞くのも下手、しゃべるのもモタモタは、軽蔑の眼で見られていたがある時、ドイツから子会社の責任者達が来社した。私の担当では無かったが偶然応接室で顔を合わせた時にドイツ語で挨拶したら、先方がびっくりして、「おい、ドイツ語をしゃべる男がいるぞ」 途端に4・5人のグループ全員が来てドイツ語で一斉に話し掛けてきた。分かる筈がない!そこで又「俺はドイツ語が駄目だ、君等の話す事はわからん」と之を又ドイツ語で言い返したので、応接間は爆笑の渦!その出来事を彼らが営業部の連中に話をしたものだから連中からはあの古狸はドイツ語が出来るんだと、ちょっとだけ評価された。思い出せば高校時代、伊那谷で「ウラサ」から教えられたドイツ語がこんな時に役立ち、古狸の助けになるとは! 有難いものです。

「ロシア語わかるんですか?」
 又これも偶然だったが何を間違ったかある日ソ連邦よりロシア語の手紙が来た。 開封して何気なく、口に出して読んだら、私の周辺の連中、皆な「シ〜〜ン」で私の顔を見ていた。この古狸はロシア語が
出来るんか?・・・有難い事にその時の課員の中にはロシア語の出来る奴がいなかったから私が少々間違って読んでも誰もそれに気付かぬ・・・えへへへ、 そこまでは良かったが 「課長、なんて書いてあるんですか?」と一番恐れていた質問が来た。意味分かるわけは無い、大学一年生の時に語学の選択で志望者が少ないロシア語を選んだだけ、 卒業と同時に辞書も記憶も皆な何処かに消えうせて頭の中カラッポ。 だがそれでわからんと正直に言わない所が古狸たる由縁、当時名古屋には外語専門学校が
あって、ロシア語学科があった。夕方そこへ尋ねて行ってどう口説いたか忘れたが、先生?に翻訳して貰った、勿論ポッケトマネーで何がしかのお礼はしたが、 その後課員達にこの内容は「これこれしかじか」と説明・・・我ながら古狸閣下だと感心したが、そうやって窮地を脱した記憶がある。 本当に有難い事にソ連邦からのロシア語の手紙はそれっきりだった。又来たら「化けの皮」一辺にはがれるわと戦々恐々だったが課員から「 やっぱり古狸だ、ロシア語も出来るんだ」と有難いお褒めの言葉を頂きました。 このロシア語は後日共産圏に出張した時に、多いに役立った事を又の機会に書く予定です。

外務省へ翻訳依頼
某月某日 大阪の商社社長と,某国向けの輸出認証を取りに東京のその某国大使館に行って、事務手続きをしたら、担当者から書類内容を全部英文で明日までに提出、さもなくばこの輸出は承認出来ないと言われた。
書類は規定に従って全てその某国の言語で作成されていて、問題は無い筈、あきらかに「嫌がらせ」だった。此処が名古屋ならまだ何とか手が打てるが東京では何とも・・・商社社長は、諦めてこの輸出は無いものと思いますと悄然とした態度、こうなると持ち前の「へそ曲がり古狸」は黙って引っ込むわけがない!よし 外務省の翻訳課に行きましょう、 え?知り合いでもいますか?誰もいませんよ、当たって砕けろですよ・・・・すぐタクシーで外務省まで走って受付に説明、何をどうやったかもう忘れたけれど、とにかく「翻訳専門部門」の責任者に会って事情説明したら、「またあの某国の嫌がらせか、よっし やりましょう」と引き受けてくれて、夕方から早速翻訳開始、我々二人は外で待っていて何時か記憶が無いがかなり遅い時間に、きれいにタイプした書類を受け取った。
今でも覚えているのは翻訳料は一語5円だった事。 合計何万円だったか?兎に角翌日再び大使館に行って、「指示通りの書類を持参しました」と提出したらその担当者が胡散臭い顔で書類をチェックしたが専門の外務省の翻訳でケチのつけようが無い! 渋々輸出承認をしてくれたが、その時の担当者の恨めしそうな顔は今でも覚えている。絶対出来る筈は無いと思っていたのがシャアシャアと持ってきたのだ。 こっちにとってみたら「ざまあ見ろ!」でその晩に社長と東京で二人でへべれけになるまで祝杯を挙げた。そんなお蔭でこの社長とは在職中はもとより、退職後も交流が続いていたが残念ながら2009年の11月に他界されてしまった。 ご冥福を祈ります。
参考までに某国というのは「韓国」の事です。