昭和51年(1976年)の出来事 この年の出来事が、これから4−5年先の仕事の伏線となる事が多いので簡単にその出来事を書いてみます。
大雑把に書くとこんなバタバタ状態でこの昭和51年を過ごしました。こんな状態ですから、病院に行ってもベッドの横で書類を広げて仕事の処理をしていましたし、葬儀の後も仕事の山積で、無我夢中で日々が過ぎて行き そのお蔭で「悲嘆に暮れる」時間は全く無くて、今となってはそれが有難かったと思います。 ◆イラク研修生の思い出 さて、本題にはいりましょう。1月に二名研修生を受け入れましたが、これは 営業部長自ら1975年に輸出 販路拡大のため中近東を歴訪して、イラクの公団との大量契約に成功、その契約に基ずいて研修生が来た次第ですが その時部長と共に契約成立に頑張ったA君が研修生受け入れの全てを配慮してくれて、私は大助かりでした。 研修生と現場でのやり取りの詳細は不明ですが、言語の障害は技術者同士で製品を目の前にして身振り手まねで実演するとそれで充分意思疎通が出来たと聞いていました。 でも彼等にとっては異国の寮での生活は大変だったと思います ◆デパートの買物騒動 さて、研修が無事終了していよいよ帰国の前に「お土産買い」をしたいとの事で事前に何を買いたいかを聞きましたらボールペンとの事で、デパートの事務用品売り場に連れて行きましたら、売り場中を歩き回って一体どうなる事やらと心配しましたが ボールペンの売り場のショウケースを見たら二人とも目を丸くして動かず暫く見ていましたら、いきなりそこにあるボールペンを全部掻き集め出した! 店員はびっくり仰天で阻止するも言葉は通ぜず、あっと言う間に人だかりで我々も彼等を落ち着かせるのに一苦労、やっと聞きだせたのは、このボールペン全部土産にほしいと言う事がわかった。 店員に事情説明して納得してもらったが 問題はその後だった。 二人でガバチョと集めたボールペンは10や20本の半端でなく5−60本以上はあっただろう。 店員が本数を数えて計算してXXXX円ですと言ったら、日本語は分からなくとも金額の事と理解して彼等が財布を取り出して出した紙幣がなんと「ドル紙幣」であった。 それでは支払いが出来ないから日本円で支払いをと助言したら 「無い」! それじゃ駄目だと言っても彼等は既に買物袋をしっかりと握り締めて、頑として動かず。 根負けしてA君が日本円を立て替えて支払ってようやくその売り場から離れる事が出来たが、見慣れぬ外人が来て大量のペンを買い占めた、支払いでも一悶着の有様をデパートに来ていた大勢の人が物珍しげに遠巻きで見物していた。 あの時は本当に一刻も早く逃げたかったなと後日A君と思い出しては苦笑いしたものだった。 色々聞いてみると当時イラクには、この様なデパートも無く、生活レベルもかなり低くて、海外渡航も制限されておりその中で外国に行ったのだから留守家族親戚友人達が皆なイラクにはない又貴重な品物のお土産を期待して待っている事がわかりだからあの様に大量の買物をしたのかと納得。 そのあとの買物はA君が彼等の 手持ちドルを日本円に交換してから行ったのでトラブルは無かったそうだが、文字通り有り金全てはたいてお土産を買ったとの事だった。 ◆空港でのトラブル いよいよ出発の日小牧空港までA君と見送りに行った。色々あったが、これで無事出国だと安心して手を振って別れた直後、空港の職員から「至急来てほしい」との事で何事かと税関の検査室に行ったら、あの二人が特大の荷物を前に憮然として立っている。税関の職員の説明では、荷物の検査の為開けよと言っても開けない 言葉が通じないが、会社の名を言うので貴方方に来てもらった。説得して欲しいとの要請で、A君が開けて検査を受けなければ帰国出来ない事を根気よく説明したら渋々開けた・・・途端にカバンの止め具が弾け飛んだ! 中を見たら魂消た、お土産品がぎっしり詰まっている。 役目柄税関の職員はかばんの中身を確認してOKだから閉めるようにと指示、パンパンに詰めて無理して閉めたのを、開けたのだからカバンがパンクして今度は閉まらない。何度やっても駄目。 見るに見かねて税関の職員が少し荷物を減らして別のかばんを買ってそこに詰めたらどうかと言ってくれたが、彼等には通ぜず、汗流して閉めようと試みている状態。こりゃ駄目だあとA君は売店に行って旅行カバンを買ってきてそれに分けて梱包してやっと税関でのトラブルは収まった。 やれやれとA君と顔見合わせてほっとしたら 今度は航空会社の職員が来て、「言いにくいが持参された荷物は規定以上の重量オーバーで、追加金支払が必要ですとの事。そんなものは当事者の彼等から貰えよと突き放したが、言葉が通じませんし、第一お金を持っていませんとの事! 此処までくると半分ヤケクソだ一体幾らの追加金だ? XXX円です。 こっそり財布を見たら運よくその金額分が入っていたので渋々支払いをした。 A君は二人分のカバン代 私は二人分の追加金支払いでスッカラカンのカラ財布。肝心のお二人さんは覚えたての日本語「ありがと、ありがと」を連発して満面の笑顔で手を振って搭乗口から消えていった。 税関も航空会社の職員も「お気の毒」の顔で我々を見ていたが、こっちは腹の中で 「勝手にしやがれ、あの野郎め」と散々悪態をついていた。 この時のA君とはその後仕事仲間として随分と助けてもらったし、退職後の現在でもよく一緒にゴルフなど楽しむ交流が続いているが、あのトラブル騒動は二人ともいまでは忘れる事の出来ない笑い話となっている。 |