総括・EvangerionTV版

総括・EvangerionTV版



 本文はTV放送総括ということですが、私としてはTV放映は

本編弐拾四話打ち切り+番外編2話

と思っています。

 つまり、エヴァンゲリオンという物語は私にとっては完結していません。完結していない以上、「物語としてのエヴァンゲリオン」の評価、感想を提示することはできませんが、「TV放映されたエヴァンゲリオン」についていろいろ述べてみたいと思います。
 ちなみにお約束ですが、本文は私の独断と偏見と主観に基づくものですので、取り扱いにはくれぐれも注意して下さい(笑)。

1.エヴァンゲリオンはどんな話だったのか。

 一つはシンジの成長の物語。もう一つは人類進化の物語、もしくは人類の再発見の物語。 ただし、後者はまったくの独断です。TV版では(一見)「人類進化の物語」に見えますが、第弐拾四話でカヲル君が長々と語ったエヴァに対する蘊蓄、この伏線をまともに受けるとTV版とは正反対といっていいような結末が思い浮かびます。この場合「人類の再発見の物語」という話になるのでは、と思うわけですがこれについてはこの文の本意ではないので省略。

2.TV放映を振り返る

 と、いうわけでざっと全体のシリーズ構成を復習してみましょう。
第壱話
第弐話
     物語の発端でいきなり戦闘。主人公はいやおうなく状況に巻き込まれてゆきます。
     物語の最初の10%でその世界の基本設定とキャラの状況を俯瞰的に描くというのは、物語の設計上の常套手段、というよりも常識です。
第参話
第四話
     シンジの話。状況に流されているだけの彼がネルフと第3新東京市に居場所を見つける話です。
     
第五話
第六話
     物語のキーとなるキャラクターであるレイの話です。その常人とは異なる特異な思考形態や生態が描かれます。(無茶苦茶な言葉を使ってるな、俺も ^_^;)
     
第七話
     日本国政府、内務省がネルフにコケにされる話です。
     
第八話
     アスカ&加持の登場。重要なサブキャラが全体の1/4を過ぎてやっと登場。ちょっと遅すぎる登場です。
     でも話の内容は、国連軍がネルフにコケにされる話です。第七話と一セットにしていいですね。
     
第九話
第拾話
     アスカの話です。第五、六話のレイの話ほど際立った派手さはないですが、構造的には似たよーなものです。ついでに言うと第参、四話のシンジの話もいっしょですね。
     
第拾壱話
     シンジ、レイ、アスカ、3人のチルドレンズの話です。
     
第拾弐話
     ミサトの話。そしてシンジが最初にエヴァに乗るべき理由を見つける話です。
     そしてレイがシンジのことで感情的な表情を見せる最初の話。
     
第拾参話
     リツコの話です。
     
第拾四話
     前半の総集編、そしてレイと零号機、初号機の話。
     
第拾五話
     ミサトとアスカ、そして加持とシンジの対比の話。ただし重点は女性陣にあり。
     
第拾六話
     第拾弐話でエヴァに乗る理由を見つけたシンジに対する問題提起、そして以後の物語への基点です。
     そしてレイの中でのシンジのウェイトが増してゆきます。
     
第拾七話
第拾八話
     シンジが第拾弐話で見つけた、エヴァに乗る理由を否定する話。
     
第拾九話
第弐拾話
     シンジがエヴァに乗る本当の理由、そして自分がここにいてよいこと、必要としてくれる人がいることを発見する話。第拾六話の問題提起に対する答えです。
     そしてこれがあればTV放映された第弐拾伍、弐拾六話はいりません。
     
第弐拾壱話
     碇ユイ、ゲンドウ、冬月などの過去の因縁話。そして加持の最後、ミサトの行動の発端。
     
第弐拾弐話
     アスカの過去の話。そして彼女が壊れる話。
     
第弐拾参話
     シンジを救うためにレイは死を選択します。そしてリツコの壊れる話。これまでの伏線の一部に対する答えが提示されます。
     そしてネルフとゲンドウ、そして人類補完計画の持つ暗黒面を暗示する話。
     
第弐拾四話
     人類と使徒、そしてエヴァの関係を暗示する話。
     
第弐拾五話
第弐拾六話
     番外編。
     監督から視聴者への、物語という形を伴わないダイレクトなメッセージ。

3.エヴァンゲリオンという物語の終末はどうあるべきか


 上の見出しは間違いです。正しくは「私はどうあるべきであると思っているか」です。
 上記のように私はTV放映された第弐拾五、弐拾六話にはシリーズ構成を主軸として見た場合、否定的に捕らえています。こんな話は必要でない、と思っています。(ただし、単品の番外編と見た場合は非常に私好みの作品ではある。)
 単行本1巻の後書きにあった「私はこの物語が終局を迎えた時、世界も、彼らも、変わっていて欲しい、という願いを込めて、この作品を始めました」とか、ニュータイプのインタビューにあった「絶対評価がほしい」とかの発言から、どうしてもあのラストが監督の意図したものとは思えないのです。

 第拾六話から第弐拾話、ここでシンジは「自分はここにいてもいいんだ」として主役としての自覚を持てるはずです。TV放映では、彼は第弐拾六話で最終的にその自覚を持った(としておこう)ところで話が終わっていますが、それじゃあ物語にもなんにもなりません。その自覚を持ったシンジがどんな行動をするか、という点がエンディングに向かって語られなければならないのです。
 何をするかって?そりゃもちろん壊れたアスカを救い、「人類補完計画」という造られた幸せを否定し、最大の敵ゲンドウに打ち勝ち、どんなに辛い世界でも自分達はこの世界で生きてゆくのだ!という生命謳歌の物語に…なると思っていたんですけどねぇ…。(T_T)
 え?ミサト??彼女をシンジが救えるわきゃないですな。彼女には加持君の残した花とスイカがありますから、そこから加持君のメッセージを受け取ってもらいましょう。はたしてミサトはあの畑に一度でも足を運んだでしょうか?
 加持君が彼女に本当に伝えたかったことはあのカプセルではなく、畑であったと思います。ミサトは成長できない、成長しないがゆえに最後までストーリー展開に直接関与しない狂言回しの役柄でしょう。
 加持君、彼は過去しか見ていない後ろ向きな連中の巣窟であるエヴァの世界の中で唯一未来を見ることのできる人でした。このことは畑で物を育てるという行為で伝えられています。彼の残した幾多の未来へのメッセージ、これが成長しないミサトを救い、シンジに対する正しい大人、精神的な父親としての姿勢を示す役割を持っている…と思ってたんですけどねえ。姿を消したとたんみんなに忘れられちゃいましたね。(;_;)
 んでもってレイ。オシイストには説明する必要無しですな。彼女こそ「紅い少女」であり、「お客さん」であり、「天使」であり、作中唯一の「神の目」であるはず…と思ったんですけどねえ。(^_^;;)
 第弐拾壱話以降、伏線がどんどん発散していったことは非情に残念に思います。

 と、まあそんなこんなで私にとっての「エヴァンゲリオン」は(未解決の問題を除けば)非常にオーソドックスなシンジの成長の物語です。
 シリーズ当初、不完全な、どこか壊れていた彼がどのように成長してきたのか、そして成長した彼が、それまで彼の受け取ってきた物を他人(おそらくはアスカ)にどのように受け渡してゆくのか。エヴァンゲリオンは、そんなまっすぐでオーソドックスな物語であるだろうと思っています。

 しかしこれではいくつかの問題が残ります。それは第弐拾四話。カヲル君の語る数々の蘊蓄、そしてネルフの地下に眠るアダムにあらざる物。本当のアダムはどこにいるのか、レイはいったい何者なのか、碇ユイの夢見たものは何だったのか、そしてシンジは本当に人間なのか、使徒の、そして人類と呼ばれている存在の正体は何であるのか。
 これはすべて保留。本文の冒頭で述べた「人類進化の物語」と「人類の再発見の物語」の分かれ目がここにあります。これについてはいくつかの仮説と想像を持っていますが本文では省略します。ここで語るべきことではないですので。

 TV放映終了後、当初予定していたシナリオでの第弐拾五、弐拾六話がOVAとして制作されることが決定しました。私の思い描いたエヴァンゲリオン像、それがどこまで正しかったのか、そしてこんな一視聴者の想像をどこまで超えてくれるのか、その顛末はOVA完成公開後にまた書きたいと思っています。

 …だーから物語が完結してくれない限り、私にとってはこの企画も終わらないんだよぅ。



[index|NEON GENESIS EVANGELION|TV report.]

May.,4,1996