THE END OF EVANGELION
- 「REBIRTH」
- カット回しの編集の直しや、再アフレコ多数。
春のバージョンはLDとかにはならないのかな??
- ミサトさん
- くううっ!かっこいい!かっこよすぎ!!おまけに理論整然と話してる!
お前なんかミサトさんじゃないっ(ぉぃ)!だいたいこんだけ立派なことが言えるような人格者かい?解らなかったからここにいるんだろーがよ。
なぜ彼女がシンジにここまで言えるようになったか、がきっちり描かれていれば別にかまわないのですが、それがきちんとできているとは思えません。演出荒いぞ。
おまけに「大人のキス」と「帰ってきたらつづきをしましょ」にそれまでの会話が全部喰われてしまっています。
ただキスして送り出すだけでいいんだけどねえ、こういうシーンの場合。
- エヴァシリーズをぼてくりまわすアスカ
- いやあ、エヴァシリーズ弱すぎ。弐号機を中心に円形に布陣しといて各個撃破されるなんて、情けないの極致だよなあ。
BGMは「G線上のアリア」、いい味出してたけど、ちょっとマンネリかな。少なくとも第弐拾参話Bパートの「第九」を超える物では無いね。
- ケイジでうずくまるシンジ
- …ミサトさん、無駄死にかい?
第拾弐話から第拾九話までの彼はきっと幻だったんだろーなあ。
- 復活のエヴァシリーズ
- S2機関ってすごい!ってことで。
でも初号機とは違って、破損個所の自己修復はできないようですね。だとしたら、胴体真っ二つにされた奴って、どーやって再起動したんだ?もちょっと考えて演出してほしいぞ。
あとカヲル君のダミープラグってのは、とくに意味は無かったみたいですね。
- リツコさんの最後
- どろどろな女の情念燃えまくりなのはよいのですが、あまりにも間抜けすぎ。
あんたの母親って同時に恋敵でしょ。最初に排除してから事を起こさないとダメだよ。(どっかのパロディにあったけどな)
しかし迎えに来たのがレイってのはかわいそうだなぁ…
- 喰われる弐号機
- ま、お約束ですな。キョウコさんはユイさんよりも弱かったよーで。
ところで弐号機の頭に突き刺さった人造ロンギヌスの槍は誰が投げたんでしょう?エヴァシリーズはまだ再起動していなかったはずですが。
バッテリー切れているのにアスカがシンクロしたままなのはなぜ?っていうのは私だけは言っちゃいけないんでしょうね。(似たようなことしたからな)
しかし、アスカって何のために出てきたんだ?
戦略自衛隊の第一線をやっつけた。これはまあいいでしょう。
エヴァシリーズをずたぼろにした。でも再起動されてしまったので元のもくあみ。
んでもってシンジに特に関わるわけでもなし。
と、いうわけで、彼女は物語にとってはいてもいなくても全然かまいませんな。ちょっとシミュレートしてみましょう。
アスカがいた場合
- エヴァシリーズが出てくる。
- ミサトがシンジを初号機へのエレベータに押し込む。
- アスカがエヴァシリーズを沈黙させる。
- 弐号機が人造ロンギヌスの槍にやられて再起動したエヴァシリーズにずたぼろにされる。
- 初号機が勝手に動いてシンジを乗せる。
- 初号機が出ていったら弐号機は解体されていて、シンジはエヴァシリーズにぶら下げられる。
アスカがいなかった場合
- エヴァシリーズが出てくる。
- ミサトがシンジを初号機へのエレベータに押し込む。
- 初号機が勝手に動いてシンジを乗せる。
- 初号機が出ていったら、シンジはエヴァシリーズにぶら下げられる。
ほら、ストーリーぜんぜん変わらん。(-_-;)
もしミサトがいなかったら…と考えれば、アスカのストーリーへの無関与さというものが解ると思います。
…ほんとに何考えてシナリオ書いたんだ?「偽りの再生」とはよく言ったもんだ。
- シンジと解体された弐号機
- 「デビルマン」そのまんま。
- 翼の生えた初号機
- なぜ翼が生えたのかの説明はいっさい無し。
そろそろ書き飽きてきたけど演出というものがだなぁ…
- 戦略自衛隊
- …結局何が目的だったんだ?
発令所からはいつのまにか撤退している、初号機のケイジにも人影無し。
MAGIシステムを確保したかったんじゃないのか?政府の命令に従っているとすれば、本部を確保するまで撤退なんかしないだろうし、ゼーレの目的(MAGI、初号機の確保)に躍らされているとしてもやっぱり撤退なんかしないだろう。
それ以前にMAGIを占拠する目的は何だったんだ?委員会の口ぶりでは、MAGIのハッキングに失敗したから武力行使に出たはずなんだけど。
…さっぱり解らん。
- 冬月
- 副指令からただの解説員になったよーです(笑)。
- レイ
- 「碇君が読んでる」って言っても…いくらなんでも演出荒すぎないかあ?これではレイ自身にとって自分が「三人目」である意味がまったく無いじゃないか。
三人目とゲンドウの間のアクションは「レイがゲンドウの眼鏡を破壊した」ことしか描かれていない。これでレイがゲンドウから離れていっていることは解るのだが、なぜそうなったのか、がさっぱり描かれていない。
なぜゲンドウの眼鏡を破壊したのか、なぜゲンドウではなくシンジを選んだのかがぜんぜん解らない。ついでに二人目との関係もだ。
せめて第弐拾参話、二人目が最後に見たのがシンジの笑顔だったらそれだけで充分な理由付けになったんだけどねぇ…
何考えて演出してんだ、くら。
- リリス
- 「お腹の中に第壱拾九使徒」とかいう説を唱えたことがありましたが、あれはただのビール腹だったようです。
…何だったんだ?あれは?
- 超巨大な綾波
- 「ちょ〜ぉ巨大なあ〜やなみぃ」<森本レオ(シロツグ)の声で読むこと。
いやね、「綾波巨大化」ネタはけっこう古くからあって(私の知る最古のものは1995年12月10日の日付の付いた最終回予測パロディ漫画、米村孝一郎・「SATURNS」である。…まだ本編が第拾話放映のころだ。恐るべし)私も裏では無茶苦茶な憶測を並べていたのだが…まさかあそこまで巨大化するとはなぁ…せいぜい初号機サイズでいろいろやると思ったんだが…
瞳の無い、うつろな目の巨大綾波、そしてエヴァシリーズの顔に浮かび上がる無数の綾波の顔…映像インパクトとしては最高でした。
- 巨大なカヲル
- ここにかぎらず、EoEではおいしい所一人じめだなあ、こいつわ。
- 「世界は碇の息子にゆだねられた」
- もっとちゃんとした人選しろよお!よーするに出たとこ勝負の成り行き任せぢゃねーかあ!!
- 「私たち、正しいわよね!」「わかるもんか!」
- 日向君、正直でよろしい。
- マヤさん
- 「I NEED YOU」てなあ…
やっぱりそーだったのか…しくしく。
- 日向君に冬月
- 一応幸せな方に入るでしょうね。
でも日向君、俺なら年増よりも四つん這いで媚び媚びなレイの方がいいぞ。(<ヲイ)
- 青葉君
- 迎えに来たのが綾波の団体…けっこう悲惨かも。どうせ妄想の産物なんだから、マヤさんに迎えにこさせてもよかったのにねー。
でも綾波に迎えに来られたリツコよりゃまだマシですか。
- ゲンドウ
- これだけ?
全世界を敵に回しても妻を追い求めた男にしては情けねーぞ。
- ゼーレの皆さん
- 「人の姿を捨ててまで…」とか言うとりましたが、しっかり捨ててるやんけ。
エヴァの中はいかんけど、ガフの部屋ならいいのか?
結局何考えてるのか解らん人たちだったな。
- 補完計画
- 初号機とロンギヌスの槍、それにシンジを使うよーですが…シンジが殺されてたらどーする気だったんだ?儀式からは「ヒトの代表」としてのシンジが必要不可欠に見えたんだけど。
- 発動された補完計画
- 以下TV版弐拾伍、弐拾六話と同じ。
そんだけ。
…鬼気迫るものがあったけど、演出としてはTV版の方が個人的には好みです。
- 碇ユイの野望
- 「人の生きた証を永遠に残す」…他の方法考えろ!いちいちセカンドインパクトやサードインパクト起こしてるんじゃない!(効果音:卓袱台返し)
やはりこいつが悪の根元だったか。
京都大学の諸君、今2年生のはずだ。今のうちに(さくっ)
内容はやっぱり「シト新生」=「死と新生」でしたね。
とにかく上にさんざん書きましたが、シナリオは穴だらけ、演出はがたがた、内容の好き嫌いとは別に「物語の出来」としてはひどいの一言。
大きい所としては
- アスカは何のために出てきたのか。
- 上に書いたけど「REBIRTH」で弐号機に乗らずに戦自に殺されていても、物語の展開にはまったく影響無し。
所詮脇役とは解っちゃいたけど、ちょっとひどすぎるよな。
- TV版のシンジとの連続性が無い。
- 第拾弐話から第拾九が「まったく無かった」と同じことになっている。
試しに第六話の直後に第弐拾参話持ってきて、映画をつなげてみよう。それでもストーリーちゃんとつながるから(笑)
- 展開が強引。
- キャラクタの動き(特にミサトとレイ)を「お約束」と「演出の勢い」だけで片づけている。そもそもTVのエヴァってのは、キャラクタを丁寧に描いてくれることでリアリティを出して支持されていた(第四話とかね)のに、その場かぎりの展開になっているのはすさまじい後退だ。
- 無意味としか思えないシーンが多すぎる。
- 特に第26話の後半、エヴァシリーズが自分の胸に人造ロンギヌスの槍を突き立てるところとか。「絵的にかっこいい」だけで、確固たる演出意図があるとは思えない。
このあたりは完全に「演出」を放棄して「画面のインパクト」だけしか考えられていない。もう「物語」が完全に放棄されている。
監督、「監督の仕事」をしなさいよ。これじゃ単なるアニメーターの暴走だよ?
このあたり半分くらいに再編集すると、もうすこしテンポよくなって見やすくなると思うぞ。
(LD出たらみんなやるだろうなぁ)
そんなわけで「物語」としての評価は低いです。しかし「映像作品」としての評価は高いと思います。
観客に徹底的な不快感を与える映像と、鮮烈なイメージ。ドラッグムービーとしてはこのEoEはかなりの物でしょう。
「DEATH編」もすさまじいものがありましたが、私の希望としては、このEoEも含めて「DEATH編」を再編集してほしいなあ。(「DEATH編」の意図である「物語の解体」とは相容れない希望ではある)
個人的な解釈・感想はさておき、このカタルシスのかけらも無い(当然意図していない)ラストシーンをバラード(だったと思う)の「終着の浜辺」であると看破した大森望氏はさすがに慧眼と言わねばなるまい。
無論庵野監督が意図した、しないは特に問題ではない。
私も大昔に読んだはずなのだが、吾妻ひでお「不条理日記」にあったパロディの方に記憶が上書きされていて、まったく覚えていないのである。困ったもんだ。
- 第2使徒は?
- レイだわな。使徒であるカヲルとまったく同列に扱われていたし、第弐拾参話のリツコさんも「アダム(この場合これはリリスのことと考えるのが正しかろう)から生まれた」と言ってますしね。
この「第N」という番号は、ただ単に出てきた順番と考えればつじつま合いますし。
まてよ、じゃあ最初からいる人間が第1使徒ってことになるな。でも人間は第19なんだよな???
…あれ??????
- じゃあ、アダムは?
- 見当たりませんでしたね。
加持さんが持ってきたアレはどこへ行っちゃったんだ?
「最初の人間」と言っていたことから、あれがリリスだったとは考えられないんですけど。
ゲンドウの台詞「アダムは私と共にある」、いくらでも邪推はできますが…作中で解るよーにしてほしかったなあ。
- 旧東京はなぜ壊滅したのか
- 解りません。
- 死海文書と裏死海文書
- 結局名前しか出てきませんでしたな。
- 委員会は結局何がしたかったの?
- 映画からは単なる母体回帰願望しか見られないのだけど?
- セカンドインパクトと南極の巨人は?
-
- マヤさんがサードインパクトの予兆を指して「セカンドインパクトの時と同じ」と言っていた。
- ロンギヌスの槍は南極にあった。
- サードインパクトはリリスとロンギヌスの槍で発動できる。
以上から、セカンドインパクトはリリスとロンギヌスの槍で起こった事象と考えられます。
結局アダムってなんなんだ?どこから出て来たんだ??
やっぱり人類のことってことにしとくか??
まあ、シナリオ穴だらけだし、作品として謎解きなんて考えていないので、こっちだけで真面目に考えてもなぁ、って気はします。
私としては、TV版から新たに解明された謎は無しです。「人類補完計画」の目的みたいに、多少補強されたものは多いですけど。
さて、「謎完全解明!」とかの広告打っている謎本の皆さん。ちゃんと解説してくれることを期待するぞ。単なる「憶測」や「想像」じゃなくて「解明」ね。(ぉぃぉぃ)
「REBIRTH」及び春の予告編を見て期待していたほどの作品ではありませんでした。(かなり高度な要求を持っていたことは否定しない)
TV放映されたシリーズよりも劣ると思います。
はっきり言って展開はほとんど予想の範囲内。「REBIRTH」のレポートにも書きましたが、庵野監督がTVの第弐拾伍、弐拾六話を「無かったこと」にして映画を創るとは思えませんでした。そんなわけで第26話のシンジの内部世界とレイの係わり方についても、特に驚きはしませんでした。(ネタとしては「Another World.」と同じだし)
アスカと弐号機の陵辱シーンについても、「デビルマン」が下敷きとしてあるのは見えていましたから、やられるのは必須と思っていました。「デビルマン」のモチーフがそのまま使われた場合は、アスカの生首登場というのが最悪のシナリオでしたが。
逆に一時的にとはいえ、アスカがエヴァシリーズを沈黙させたことの方が意外だったりして。
で、解体された弐号機を見たシンジと初号機が全開で大暴走…しませんでしたね(^^;)。してくれれば完全に予想通りだったんだけど。
その後については前述した通り、TVといっしょ。
ただラストシーンについては、ここまで意地悪されるとは思いませんでした。さすがにスクリーン見つめたまま呆然としてしまいました。
「気持ち悪い…」
たしかに気持ち悪い。
正直このラストについては、TVレポート以来これまで行ってきたような、客観性の(一応 ^^;)ある物としては書きたくありません。
個人的にあのラストをどう見たのか、という純粋に映画を見た後の感想一発だけ書いてみます。
シンジとアスカは表と裏です。どちらも幼いころに親に捨てられた(と少なくとも本人は思っている)子供です。
シンジは他人に対して自己を主張する事無く、言われたことを忠実に守って生きてゆくだけの人間、アスカはまったく逆に、周囲に自分の存在をめいっぱい主張し、周囲に自分の存在を認められるためだけに生きてゆきます。
同じ所からまったくの逆方向へと歩いてきた表と裏、それがアスカとシンジです。
シンジの自我を使って行われた補完計画、人の自我の殻であるATフィールドが全て失われ、心と心が解け合った世界。
そこでシンジが見たミサトやアスカの裸の心。そしてアスカも見たであろうシンジの裸の心。
浜辺でアスカの首を絞めようとしたシンジ、テーブルをぐるぐる回り、アスカに最後まで拒絶されてアスカの首を絞めるシンジ、浜辺で自分の首を絞めるが、けっきょく自分を殺すことのできないシンジ、目の前に確固たる現実として存在するシンジ。最後まで自分を求め続け、拒否されたあげくに自分の首に手をかけるシンジの心が、アスカには全て見えていたでしょう。その心に対する嫌悪感、そしてその中に見つけた鏡像である自分自身。それを見つけて、「気持ち悪い」と言葉にしたのではないでしょーか。
補強として、EoEの26話、マンションでシンジがアスカに「アスカじゃなきゃだめなんだ」と迫って拒絶されるシーンと、「Death」でのオーヴァー・ザ・レインボゥ艦上で胸をはだけて加持に迫るが、やんわりと拒絶されるアスカの類似性がありますね。
うーん、LD出たらもう一回ちゃんと書く…かも。(初日に弐回見ただけです ^^;)
ちなみにもうちょっと解りやすく、かつ無責任に、
「庵野監督、またふられたのか??」
とも思いましたが(笑)。
とりあえず土壇場で差し替えたというラストのアスカのセリフ、元々はなんだったんだろーね?
[NEON GENESIS EVANGELION|Movie Reports.]
(c)Takahiro Hayashi
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