10月12日(原理主義をなだめ和解しましょう)
自己の純粋性を自認していると原理主義に陥り易い。そのような人と話し合って解決の道を見出だしたいものです。
自分が好きな或るものを見て、自分が独断で、これが世界最高だ、これに勝るものはない、これこそ本物だ、これに違うものは皆偽物だ、偽物は皆ぶっつぶせと、そんな感じで、他を批判し、自分を高ぶって得々していると、いつのまにかそれは原理主義のようなことに陥っていることが時々あるものです。そういう人を時々見かけますね。しかし当の御本人は全くそれに気がついていないのですから気の毒なものです。
原理主義なるものは全く困りものです。自分が信じていること、自分が為していることが最高至高だと信じているのですから手に負えないものです。ちょっとやそっとの他人からの忠告ぐらいでは動きませんですね。何処かで最近、仏像破壊ということがありましたね。あれなどは原理主義の最たるものですね。それに似たものも時々ありますね。
このような人騒がせの風潮を終わらせ、世の中を平穏無事にするにはどうしたらよいでしょうか。今の世の中に生きている私たち普通の人に課せられた一つの大きな課題ですね。どうしましょう。その人に会って忠告しましょうか。なかなか聞き入れてはくれないでしょうね。こちこちに凝り固まっているのですから。しかしその努力はすべきですね。大きな石でも少しでもよいから数多く押せば次第に動く喩えもありますね。
祈りましょか。それは良いことですね。祈れば必ず神様の導きが得られますね。何を為すべきか。どのようにすればよいかと導きがありますね。しかし相手を恨んだり憎んだりしてはいけませんですね。念は通じますからね。やさしい愛深い心をもって、接することですね。
「わたしはあなたを愛しています。決してわたしはあなたを憎んだりしてはいません。あなたは良い人です。私はあなたのその正義感を良しとします。しかしですね、わたしの言うことをすこしでも聞いてくださいませんか。わたし達は今なにをなすべきか。いまの世の中はどんな世の中でしょうか。どのようにしたら今の世の中を良くすることが出来るでしょうか。あなたとわたし、二人でよく考えて、これから先の道を見出だそうではありませんか。わたしはあなたの幸せを祈っています。神様ありがとうございます。神様の御導きに感謝いたします。」
