10月6日(『正法眼蔵』「無情説法の巻」と『聖書』「ルカ伝」)

『正法眼蔵』「無情説法の巻」と、聖書『ルカ伝』

 私は今、谷口清超先生著『正法眼蔵を読む』下巻と、日本ギデオン協会発行の和英両文「キリスト教聖書」を毎日少しずつ読んでいます。両方ともなかなか難しい本です。
 
 『正法眼蔵』は漢文・和文の道元禅師の独特の文章を、谷口清超先生が分かり易く解説して下さっていますが、それでもまだ理解するには難しいのです。一月に1回、光明講座を開いて勉強しています。一回2時間で20ページ進めばよい方です。6年半になりますが上巻・中巻を終わり、現在下巻の最初のところを勉強しています。
 
 聖書の方は、私は英語の勉強を兼ねて読んでいますので、単語を覚えるのに一苦労です。いちいち字引を引いて単語帳に記入していますが、なかなか前に進みません。読み始めたのが2000年6月9日で、毎日3節くらい読んでいますが、2年3ケ月になるのに、まだ236ページです。最終は769ページですから、読み終わるのに後5年はかかりそうです。

 今日読んだ『正法眼蔵』は「無情説法の巻」です。なかなか難しい文章ですが、道元禅師の教えが魂に響いて来ます。

 聞法に益ありーーー 「おほよそ聞法は、ただ耳根・耳識の境界のみにあらず。父母未生已前、威音以前、乃至尽未来際、無尽未来際にいたるまでの擧力・擧心・擧體・擧道をもて聞法するなり。身先心後の聞法あるなり。これらの聞法、ともに得益あり。心識に縁ぜられざれば聞法の益あらずといふことなかれ。心滅身没のもの、聞法得益すべし。無心無身のもの、聞法得益すべし。諸佛諸祖、かならずかくのごとくの時節を経歴して、作佛し、成祖するなり。法力の身心を接する、凡慮いかにしてか覚知しつくさん。身心の際限、みづからあきらめつくすことえざるなり。聞法功徳の、身心の田地に下種する、くつる時節あらず。つひに生長ときとともにして、果成必然なるものなり。」
 
 つまり聞法ということ、真理の説法を聴聞するということが如何にすばらしいものであるか、たとえ直ちに功徳があらわれなくても、時がくれば必ず果樹が熟するが如く、その功徳が現れるものであるということを道元禅師は説いておられます。

 今日読み返したキリスト教聖書は、ルカ伝第18章42節と43節です。
42 Then Jesus said to him、“Receive your sight; your faith has made you well.”
(そこでイエスは言われた。「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った。」)

43 And immediately he received his sight, and followed Him, glorifying God. And all the people, when they saw it, gave praise to God.
 (すると彼は、たちまち見えるようになった。そして神をあがめながら、イエスに従って行った。これを見て、人々はみな神をさんびした。)

 『正法眼蔵』と『聖書』、表現はそれぞれ独特のものがあれども、真理は一つ、要するに真理の説法を聴聞することですね。ここに万教帰一の真理があるのですね。