12月11日(母を想ふ、昭和50年2月1日の日記)

昭和五十年二月一日の僕の日記
 油津の兄貴から便りあり。母が病気にて入院との由、もう八十才を過ぎてゐるから、心配してゐるから、帰って来いとのこと。明日の午后の福岡発の飛行機にて帰ることにした。
 母よ母よ、幼き日の母の面影が頭の中をめぐる。やさしき母よ。「おっかちゃん」と呼んで僕は育って来た。小学校・中学校と、そして軍隊、そして北海道、東京。
 僕を生み、育ててくれた母、父はいつもきびしく、母はいつもやさしかった。長生き型の母、一寸ぐらひの病気などで死ぬとは思はぬ。百才まで生きてくれる筈である。
 母のふところ、母の乳房、母にしかられたこともあった。無学に近い母であったが、母は賢かった。母がつくってくれた御飯。
 僕は母を想ふ。母の心を想ふ。然し僕の母を想ふ心は、母が僕を思ふ心に比ぶればはるかに小さい。山と小石ほどの差。どんなに母のことを想っても、それは母が僕を想ってくれる心ほどに、大きく高く深くなることはできない。
 母の心は天の心。神の心。佛さまの心。僕は母を想ふ。母を想ふ。
母は今日も僕のことを想ふ。僕のことだけを想ってくれてゐる。こんなに有り難い尊いことは世の中にはない。