4月29日
昭和天皇の御徳を偲び奉り、限りない感謝を捧げます。
そして平和繁栄の日本と、世界の国々の平安を祈ります。
今日は4月29日「みどりの日」です。春になり日本全国が木々の緑に覆われる季節となりました。これはとても素敵なことです。そして連休の真っ最中です。しかし私には「みどりの日」という休日は、心にぴんと来ません。
私は大東亜戦争が終わって復員し、虚脱状態で北海道の牧場の牧夫を皮切りに、日本国中を放浪して廻っている時、たまたま東京杉並区の友人の牛の牧場で、搾乳のアルバイトをしている頃に、郷里の旧制中学の同級生に誘われて、「日本経済短期大学」に復員学生としての特典で夜間部に9月に中途入学しました。その時の国語学の先生が夜久正雄先生
でした。 夜久先生は昭和34年に「明治書院」から『歌人・今上天皇』という御本を出版されました。谷口雅春大聖師はこの御本をたいへん推奨されました。
その後、昭和51年11月、この御本『歌人・今上天皇』は「日本教文社」から増補改訂版として出版されました。約520首の御製が収録されています。愛国の読者は皆感銘致しました。ここに今上天皇とありますのは昭和天皇様のことです。
4月29日という日は昭和天皇様の御生誕の日です。以前はこの日は『天長節』と申し、その後『天皇誕生日』となりました。そして昭和天皇様の崩御の後は現在の『みどりの日』という国民の祝日ということになったわけです。
私は今『歌人・今上天皇』という御本を開いて、昭和天皇様のことを偲び奉っています。
昭和天皇様の、あの終戦直後、昭和21年の歌会始の御製があります。
−−松上雪−−
ふりつもる み雪にたへて いろかへぬ
松ぞををしき 人もかくあれ
建国以来の未曾有の敗戦という荒廃した日本の国と、寒々とした国民の心は、この御製の深い祈りとしての大御心によって支えられて蘇りました。天皇陛下の御祈りです。この御祈りによって日本の国は、国民の心は立ち直ったのでした。
夜久先生はこの御本の前編の「まへがき」に次のように書いておられます。
「私自身の感想をのべると、今上天皇の御歌をよむと、自分の苦しみや悲しみがとけてゆくやうな感じがする。われわれが生きてゆく上には、理不尽な目にあって苦しみなやむ時もあるし、どうにもならぬ悲しみに沈むこともある。さういふ時、今上天皇の御歌をよむと、その御歌には、自分の苦しみよりももっとはげしい苦しみをへてきた人の息づかひが感じられ、自分の悲しみよりももっと深い悲しみがたたへられてゐるやうに感じられて、自分の苦しみや悲しみが御歌の作者の大きな悲哀と苦悩とにつつまれてしまふのである。
ここに、いまの世の中をもっとも深く味ひ、もっとも誠実に生きてをられるお方がある、
とおもふと、勇気が湧くのである。−−−」と。
更にこの御本には収録されていませんが、木下道雄氏著『宮中見聞録』によりますと、昭和天皇様が大東亜戦争の終結を御決意されました時の尊い御製があります。
爆撃にたふれゆく民の上をおもひ
いくさとめけり身はいかならむとも
身はいかになるともいくさとどめけり
ただたふれゆく民をおもひて
昭和20年9月27日、昭和天皇様は、占領軍総司令官マッカ−サ−元帥を御訪問され、自分の身はどうなってもよい、食料が不足して困っている国民のために、食料を援助してもらいたい旨を申し出られました。マ総司令官は陛下のその御誠実な人格の雰囲気に触れて感動し、食料援助の措置をとってくれたということであります。それによって国民は救われたのでありました。
昭和天皇様は戦争には御反対でいらっしゃいましたが、時の陸軍軍人や政治家達によって戦争に突入することになったのでありました。しかし敗戦になって、戦争の責任は自分にありと、昭和天皇様はお考えになられたのでありました。
嗚呼昭和64年1月7日、昭和天皇様は崩御あそばされました。その日の私の日記には次のように書いてあります。
「午前6時33分、今上天皇陛下には崩御あそばされた。万感胸に迫る。天皇陛下の御徳によって生かされ育まれて来たのである。神さまが神界にお昇りになった。昭和の御代は本日をもって終わりを告げる。天皇陛下様有り難うございます。神さま、神さま、天皇陛下さま、ありがとうございます。午後7時より教化部にて遙拝式。心が空っぽになった。」
その翌日、1月8日は、平成元年1月8日であります。「平成」という元号は中国の古典『史記』の「内平外成」と、『書経』の「地平天成」から引用されたと漏れ伺っております。
今は平成の御代14年、神武天皇様以来、万世一系、第125代の平成の天皇様が御即位遊ばされて14年経ちました。天皇国日本であります。
今のこの時代、生長の家は、人類光明化運動・国際平和信仰運動に智慧深く、愛深く取り組んで運動を進めて行くのであります。万教帰一を唱えて。
人は皆、明るく、楽しく、拝み合って生きて行きましょう。
合掌再拝 平成14年(2002年)4月29日の佳き日。
良本峯夫拝
