6月17日−2(谷口雅春大聖師十七年祭)
谷口雅春先生をお偲びして(十七年祭)
−−良本峯夫の日記より(2)−−
昭和六十年六月十八日
谷口雅春先生はお骨になって総裁公邸にお帰りになった。
帰家祭(昭和六十年六月十八日 午後七時半より 於総裁公邸)
一.手水の儀
一.開式の辞
一.修祓
一.招神歌
一.献饌
一.祭文奏上
一.玉串奉奠
祭主・祭員
喪主・家族・親族
一.聖経『甘露の法雨』一斉読誦
関係者玉串奉奠
一.撤饌
一.大調和の歌
一.閉式の辞
これで全てのお祭りは終わりました。明日から僕は心を浄めて光明化運動に 邁進させて いただくのである。有り難う御座居ます。
昭和六十年六月十九日
一夜明けた。僕はじっとしてゐるのがたへられないので長崎へ行く。
七月二十二日の「教団葬」について意見あり。『生長の家』誌昭和五十三年 十月号「明窓浄机」に「山口悌治理事長の教団葬につき、葬儀は家庭に於け る葬儀によって、霊魂は既に霊界の然るべき処に行ってゐるのに、それを再 び引き戻すことになるから、教団葬といふことはよくない。追善供養鎮魂祭 −−云々」とあるので、七月二十二日の教団葬については総本山でもよく考 へてもらひたいといふものであった。
昭和六十年六月二十二日
「謝恩祭」−−今までの謝恩祭には谷口雅春先生の御健康と御長寿とをお祈 りして来たが、今回からはそれが出来ない。然し谷口雅春先生は久遠の佛と して今も生きてをられるのである。私の内に生きてをられるのである。
谷口雅春尊師吾が中に在り給ひて吾れを導き給ふ。
昭和六十年六月二十六日(団参中)
「帰幽の神示」祭
大雨が降ってゐる。
谷口輝子先生御講話。
谷口雅春先生が六月十三日午前三時半、次のやうにおっしゃたと、付き添 ひ看護婦の上野志保子さんがお聞きしたといふお言葉を話された。
お言葉−−「病なし、迷なし、罪なし。これが生長の家の根本真理であり ます。それでは神さま、只今よりねむらせていただきます。それでは神さ ま、只今よりねむらせていただきます」と。
輝子先生は「私は一度も泣いてゐないのです。もし皆さんが泣かれるのを 見ると、それを見ると私も泣きたくなるから、皆さん泣かないで下さい。 谷口雅春先生はもう此の世の使命を完全に果たされ、五日も六日もお食事 を召しあがらず、物質の食物は必要なくなってをられたのです−−」と、 このような意味のことを淡々とお話しになられた。
「十日祭」(昭和六十年六月二十六日 午後二時より 於総裁公邸)
大雨が降り続いてゐる。団参練成員全員、大雨の中、濡れながらお焼香を した。傘は各自持ってゐたが、この大雨では濡れた。
昭和六十年六月二十七日
団参最終日。朝から大雨であったが、祈り合いが終わる頃にやんだ。みんな 神の子になりました。
谷口雅春先生は久遠のキリストとして、久遠の谷口雅春尊師として吾が内に ましまして吾れを導き給ふのである。
『生命の実相』の御本をひらけばそこに谷口雅春先生はましますのである。
龍宮住吉本宮に詣づれば、そこに谷口雅春先生は住吉大神さまと共にましま すのである。