6月26日(科学と宗教)     

「科学技術と宗教」−−生命誕生を考える。
 最近の科学技術の発展について、マスコミでは人間の生命誕生等についてのことが種々報道されていますが、一体このようなことを単なる科学技術の進歩として安易に考えてよいものだろうかと、私のような宗教関係の人間にとっては疑念をもたざるを得ないようなことが連日のように報道されています。

************************1.「受精卵養子」−−−日本産婦人科学会の倫理審議会は、他人夫婦の受精卵で妊娠出産することは「認められない」との結論を出したそうです。ところが生殖医療の制度つくりの厚生労働省は「容認」の方向ですすめているそうです。他人夫婦の受精卵で生まれた子供のことを「受精卵養子」などと呼ばれているそうです。今までの常識では「養子」とは当たり前に生まれて生きている他家の男子を自分の戸籍に迎え入
れるとか、成年男子を娘の婿に迎えるというようなことでありましたが、「受精卵養子」とは何とも不思議な世の中になったなあと溜め息が出てしまいます。
(中日新聞02.6.16より)

2.「夫の死後、凍結・保存精子で出産」−−−西日本に住む女性が夫の生前の精子を凍結・保存してあったのを使って妊娠し、夫の死後1年半以上たって男児を出産したそうです。生まれた子供を夫婦の嫡出子とする出生届を市役所に出しましたが受理されず、裁判所に申し立てたが認められなかったそうです。現今の科学技術ではこのようなことが自由に出来るようになってきたようです。(中日新聞・読売新聞02.6.26より)

3.「骨髄の肝細胞にES細胞並みの能力」−−−従来は受精卵から生まれるES細胞(胚性肝細胞)によって人体の臓器などをつくることが出来るとされてきましたが、これには倫理上の問題がありました。しかし今回ミネソタ大学の研究グル−プが、骨髄の中の肝細胞がES細胞と同じような能力を持つことを確認したそうで、これならば倫理上の問題はないということで大きな関心が寄せられていると報じています。(読売新聞02.6.21より)
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 このような生命誕生の科学的成果を目の当たりにして、宗教を信ずる者としてこれをどのように解釈するかという大きな課題をつきつけられた感じが致します。 一つは「霊魂」の問題もあります。
 人間を単なる「物質としての肉体」であると考えるならば、その肉体という物質は「物質科学の法則」がそこに働いて生長し、やがて此世に誕生するでありましょう。そして時至れば物質なる肉体は自然崩壊して元素に復帰して所謂死亡することになるでありましょう。
 しかしそこに人間の「個性ある霊魂」があって、精子と卵子の結合を契機として、母となるべき女性の子宮内に宿り、そこで霊魂は自分自身の個性ある肉体を内部から形作って行き、やがて十月十日の時満ちて此世に誕生す、と考えるならば、霊魂は自分自身の意志でこの科学的生命製作の医術を肯定して母親の胎内に潜り込んだということになるのでありましょうか。或いは霊魂は潜在意識内にひそむ「心の親和の法則」によって、自然のうちに父母となるべき人やその家族や環境の中にとけ込む形で母胎に宿り、誕生したと考えるべきでありましょうか。
 このようなことを種々考えていますと、この人生というものは何と不可思議なものであろうかと考えさせられ、またどこまでこの生命の科学といいものは発達するのであろうかと、夜も眠れないようなことになりそうです。
今日は考えるのをこの辺で終わります。
合掌再拝