7月9日(『正法眼蔵を読む』仏道の巻)

−−−『正法眼蔵を読む』下巻「仏道の巻」−−−
 ここ数年、毎月1回、夜2時間ほど、光明講座で連続
して、生長の家総裁谷口清超先生著『正法眼蔵を読む』
を勉強しています。とても深い仏道の真髄が述べられて
います。今月は『正法眼蔵を読む』下巻「仏道の巻」で
す。下記がその一部分です。最初の文王と太公の問答は
原漢文ですが、漢字・かな交じり文で書いてみました。
後半は道元禅師の文そのままです。
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文王、太公に問いて曰く「君務めて賢を擧ぐ、而も其の
   功を獲ず、世の乱れ愈々甚し、以て危亡を致すと
   は何ぞや。」
太功曰く「賢を擧げて而して用いず、是を以て擧賢の名
     のみ有りて、得賢の実無きなり。」
文王曰く「其の失いづくにか在る」
太公曰く「其の失、好んで世俗の誉むる所を用ゐ、其の真実を得ざるに在り」
文王曰く「好んで世俗の誉むる所を用ゐるとは何ぞや」
太公曰く「好んで世俗の誉むる所を聴けば、或いは非賢を以て賢と為す、或い
     は非智を以て智と為す、或いは非忠を以て忠と為す、或いは非信を
     以て信と為す。君、世俗の誉むる所の者を以て賢智なりと為し、世
     俗の毀しる所の者を以て不肖なりと為す。即ち党多き者は進み、党
     少なき者は退く。是を以て群邪比周して賢を蔽ひ、忠臣は無罪に死
     し、邪臣は虚誉以て爵位を求む。是を以て世の乱るること愈々甚だ
     し、故に其の國危亡を免れず。」
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 俗なほその國その道の危亡することをなげく。仏法・仏道の危亡せん、仏子
かならずなげくべし。危亡のもとゐは、みだりに世俗にしたがふなり。世俗に
ほむるところをきく時は、眞賢をうることなし。
 眞賢をえんとおもはば、照後観前の智略あるべし。世俗のほむるところ、い
まだかならずしも賢にあらず、聖にあらず。世俗のそしるところ、いまだかな
らずしも賢にあらず、聖にあらず。
 しかありといへども、賢にしてそしりをまねくと、偽にしてほまれあると、
三察するところ、混ずべからず。賢をもちゐざらんは國の損なり、不肖をもち
ゐんは國のうらみなり。