8月1日(8月になると憶う)
今日から8月です。名古屋は暑い日が続きます。今日は37度を超えたとか言っていました。みんな人の顔を見れば「暑いですね」と言っています。ところが私はそんなに暑いとは思いません。汗は出ますが、自分の心が「暑い」と思わないのです。何故か?
それは多分、今から57年前、昭和20年8月15日のことを思い出すからでしょう。その時私は茨城県の霞ヶ浦海軍航空隊にいました。今考えてみると、その頃生存している航空機の操縦員としては数少ない貴重な存在であったのでしょう。何故なら多くの操縦員は特攻で亡くなっていたからです。
年は18才で若かったけれど、国を思う精神は最高に勝れていたと、今もそう思います。その当時は特攻で戦死することは当たり前であると思っていました。特別のことではありませんでした。自分が特攻で戦死すれば、それは国のために忠義をつくしたことになり、何よりも父と母が喜んでくれ、最高の親孝行になると眞にそう思っていました。
しかし初めて拝聴する御放送で聞こえてきたのは「終戦の御詔勅」でした。嗚呼。
それから半世紀が過ぎました。いろいろのことが世界に、日本の国に、自分自身の上にあったけれど、自分はここに生きている、不思議な感じがするのです。こういうことで暑くても「暑さ」を感じないのでしょうか。外では救急車のサイレンがしきりに聞こえます。暑さの故に躰をこわした人が救急病院に連れて行かれるのでしょう。
