8月24日(良い本を読みましょう)
良い本を読みましょう−−@
私の名前は良本峯夫(よしもとみねを)と申します。先祖からの言い伝えによりますと、苗字の良本というのは、明治維新になって日本国民全員が氏名を持つことになってから、元の殿様につけてもらったものであるとのことです。
殿様と申しますのは、今は宮崎県日南市飫肥(おび)の飫肥藩5万石の伊藤家の殿様です。その飫肥藩の殿様が参勤交代で江戸に行き来する途中に、今は兵庫県尼崎市の定宿に宿泊していました。殿様はかねてから飫肥藩で産業を興したいとの念願を持っていたそうです。
ある年のことです。参勤交代からの帰途、定宿に泊まっていて聞こえてきたことは、宿の近くに下駄店があって、非常に繁盛している。そしてその店には腕の良い職人が大勢いるが、中でもその下駄店の次男坊に峯吉とい気だての良い腕の良い男がいる、まことに立派な若者である、という評判でした。
その噂を聞いた殿様は、早速その下駄店の主人に掛け合い、また峯吉にも面接して、大いに気に入って、懇願して、とうとうスカウトして峯吉を飫肥に連れて来たということです。飫肥町という所は高温多湿でありまして、山の樹木がよく育つのです。中でも飫肥杉といえば今でも有名です。
峯吉は早速、飫肥杉を利用して下駄作りを始めました。それが大いに受けました。つまり下駄つくりという産業を興したということになったわけです。
そうしているうちに時代は移り変わって、大政奉還とともに明治維新となり、飫肥藩も奉還されましたが、峯吉の子孫家族には元の殿様から「良本」という苗字をつけていただいたというわけです。だから良本家は代々光栄ある「下駄店」であります。平成の御代の今は下駄店はやっていませんが、私の子供の頃は本家では下駄店と豆腐店を営んでいました。(実は私が生まれたとき、父が、この子はあの先祖の峯吉さんのような立派な人間に育ってほしいとの思いから「峯夫」と命名したそうです)
さて話は本論に入りますが、「良本」という苗字・コトバです。これは「良い本」と読むことが出来ます。つまり良いコトバを盛った本です。良いコトバとは真理のコトバです。真理の言葉の書かれている本です。キリスト教では新約聖書、ユダヤ教では旧約聖書、イスラームではコーランとハデイース、仏教ではそれぞれの経文、ヒンズー教ではバガバッドギーター等、世界には真理のコトバを盛った尊い聖典等が数多くあります。
良い本、真理の書、これらを正しく読むことによって、人は自分の人生を律して行くことが出来ます。
しかし、此處に云うコトバとは宗教書だけのことではありません。世の中のあらゆることが、コトバによって成り立っています。たとえば国の法律はコトバによって表現されています。憲法もコトバです。飛行機や列車の時刻表もコトバで書かれています。デパートの売り場の値段表もまたコトバです。
広く考えますと、コトバとは言語や文字だけではないようです。身振りや手振りもコトバでしょう。仏教の教説ではよく身・口・意の三業と云われています。身・つまり體を動かしての表現、口・つまり言葉での意思表示、意は心で思うこと。学校では先生がコトバで勉強を教え、教科書はコトバで書かれています。
先日、名古屋市内の地下鉄に乗っていましたら、鶴舞駅でおばあさんが乗り込んで来ました。すると茶髪の若い男子青年が、すっと立ってにっこり笑顔で「おばあちゃんどうぞ」と言って席を譲りました。おばあちゃんは「どうもありがとう」と言って座りました。この光景はまことに美しいコトバの表現でありました。身(座席を立つ)・口(言葉で呼びかける)・意(親切な心)。この世界は正に言葉によって成り立っていますね。良い言葉を盛った良い本を読み、良い言葉を使いましょう。
合掌再拝 良本峯夫拝
