9月11日(ニュ−ヨ−クのテロから1周年を迎えて想う)
ニュ−ヨ−クのテロから丁度1年がたちました。テレビ報道によりますと、アメリカではブッシュ大統領をはじめ多くの市民が参加して追悼の神事がおこなわれたようです。日本からは小泉首相も参列しています。
このテロはイスラム原理主義者によるものと思われています。原理主義者はその心の内は殉教の精神に徹しているのでありましょう。自分のこの行為は神の御心に適い、神に喜ばれるものであるとの堅い信仰心に基づくものでありましょう。信仰は時として命をも軽しとします。これが殉教という崇高な精神でありましょう。
意味内容は違いますが、嘗ての大東亜戦争末期には特攻出撃というものがありました。お国のために己が命を捨てる、これより大なる義はない。若者は本当に喜んで死地に向かいました。このことは私もこのHP8月15日の欄に書き込みました。殉教の精神は極めて貴いものであると今でも私は思っています。
しかし、真の麗しき神の国を此の世に持ち来すためには、命を捨てるという殉教が必ず必要なのだろうか、もっと平和裡に神の国はもたらされるのが当たり前ではないかとも思います。殉教の精神はまことに尊く美しいものでありますが、それが他に対して向けられる時、他を傷つけ殺すことになります。そうなると相手の怒りをかい、そこに対立と闘争が起こってしまいます。
全能なる神、絶対愛なる神様の御国がこの世に現れるのに、殉教の使命感から若者が命を捨て、そして善良なる一般市民が巻き添えになるような悲壮な相は、本当は神様の御心ではないと思います。今回のニュ−ヨ−クのテロは正にその殉教の矛盾を現しているものであります。
本当の神の国は、平和に、明るい、安らかな、喜びに満ちた人々の心によってこそ持ち来たされるものであると思います。神の国は、対立を超えた「絶対の世界」にこそあります。その世界に人類は行き着かねばなりません。これが理想であると思います。しかし残念なことに今の世界は、現実の人類社会は、人々の心は、まともに「動反動の法則」に支配されています。
嗚呼この有様を如何にせん。今は唯、神に祈り、人々の心が和らぎ、世の被害が出来るだけ少なからんことを願うのみです。そして今私は、全能なる神の導きのもと、世界に人間神の子の光明思想を広めることに全力を尽くすことを誓います。神われを導き給う。神吾をして全人類の行く手を照らす燈台たらしめ給う。吾れ心を空しくして神の御心に従い奉る。神われを導き給う。ありがとうございます。ありがとうございます。
−−−−世界平和の祈り。−−−−
神の無限の愛われに流れ入り給いて、われに於いて愛の霊光燦然と輝き給う。その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、全ての人類の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。
《参考聖典、「コ−ラン」「ハデイ−ス」》
○アツラ−は信徒の男にも女にも、せんせんと河川流れる楽園に永遠に住ませてやろうと約束し給う。またアドン(エデン)の園の中に素晴らしい住居も。(コ−ラン、改悛73−−岩波文庫・井筒俊彦訳)
○イスラ−ムは行うに易しい教えであるから、掟を守るのにあまり厳格にならぬよう。さもなければ、人は耐えられない。それで正しい方向を目指し、完全に近づくようにつとめ、よい報いを望み、朝のいのり、夕のいのり、そしていくばくかの夜の祈りに助けを求めよ。(ハデイ−ス、信仰の書29−−中央公論社・牧野信也訳)
