9月21日(60年前の仲秋の名月を観る)

仲秋の名月
 思い起こせば昭和十八年十月一日、私は旧制中学四年生の時、志願して大日本帝国海軍飛行予科練習生(予科練)として鹿児島海軍航空隊に入隊しました。若い魂は、一身を投げ打ってお国のためにつくしたいとの願いを持っていました。入隊して数日後でしたが、夜間陸上訓練がありました。夜空を仰ぎみますと煙を噴く桜島の上空に、満月が煌々と輝いていました。その月を見ていますと、私の躰が、ぶるぶるっと震えるのを覚えました。その時私は「武者震いだ」と思いました。教官の訓辞の第一声は次のようでした。

 「目を上げて夜空を見よ“仲秋の名月”は先月九月であったが、今夜の月も満月だ。貴様たち飛行兵の前途を祝福しているかの如くである。しっかり訓練に励め。」この教官の訓辞の中の“仲秋の名月”という言葉は何と美しい言葉だろうと感動したことを今でも鮮明に覚えています。それまでに十五夜の満月を見て美しいと思ったことはありましたが“仲秋の名月”という言葉は知りませんでした。

 それから六十年後の平成十四年九月二十一日、私は鹿児島市に来ています。ホテルの食堂の窓から夜空を眺めています。今夜は十五夜・仲秋の名月を見るためです。東の方向、桜島の山頂を眺めています。午後七時四十分、月が桜島の山頂の一角に姿を現しました。あヽ月が出た!!
 
 月は見る見るうちに大きくなり、丸くなり、やがてぽっかりと桜島の上空、夜空にその美しいまん丸い姿を浮かび上がらせました。
 
 私の脳裏には六十年前のことが蘇ってきました。あヽあの晩もこの月を眺めたなあ。
「あヽ月よ、汝はあの時の月と同じ月なんだろう、ようこそ変わらず生きていたなあ。汝“仲秋の名月よ”私のことを覚えているかい、私は六十年前のあの夜、感動をもって汝を眺めたよ、汝は年月の移り変わりと共に、曇ったり欠けたり半月になったり、三日月になったり、或いは姿を没して闇の夜を現出したりした。」

 「大戦末期には白いマフラを襟に巻いた特攻機の搭乗員の影を映したり、いろいろと変転を重ねて来たであろうが、こうして今夜の汝を見ていると全く変わっていないなあ、完全にまん丸じゃないか、すこしも欠けていないし、変わってもいない。そのまままん丸だ。あヽ月よ“仲秋の名月よ”汝は私に真実を教えてくれた。現実の姿は日とともに、年月とともに移り変われど、真実の相は永遠、実相円満完全、実相円満完全である。ありがとう、ありがとう」
ここで私は谷口雅春先生のお歌を思い出しました。
           ただよへる
             雲のかなたに             
               まんまるに
                 澄みきる月ぞ
                   わがすがたなる