9月3日(台風の日、青島神社に詣でて)
平成14年(皇紀2662年・西紀2002年)8月30日、台風15号風速37m、宮崎県沖をゆっくり通過西北へ。この日、私は明日の生長の家宮崎県教化部・都城道場における講演のため、お昼頃青島のホテルに入りましたが、どうしても青島神社にお参りしたく、ホテルを出て、砂浜の青島海岸を500mばかり、一人で歩き始めました。
ものすごい風が前方から吹き付けます。砂浜には誰も人はいません。私ひとりだけです。吹き付ける風のため、なかなか前に進めません。私は右肩から左腰へと肩掛けていたカバンを水平にしてみました。すると私の躰が少し軽くなったように感じました。ああ、これは飛行機が空中高く飛び上がる時と同じ「揚力」がこの水平のカバンに加わったのだと思いました。風速は30mもあれば軽い飛行機なら充分飛び上がることが出来るでしょう。
青島神社の御祭神は
○「天津日高日子穂穂手見命(あまつ ひだか ひこほほでみの みこと)」
またの御名は「火遠理命(ほをりの みこと)」
○お后「豊玉毘賣命(とよたまひめの みこと)」
○塩椎神(しほつちのかみ)
この三柱の神にましますのです。このことは私は子供の頃から度々、この青島神社にお参りしていましたのでよく知っています。この度神縁深く、青島神社に近く、対岸の良き所に生長の家の教化部が新築され、不肖私が教化部での講演に来させていただくことになったということは、まことに有り難く唯々感謝の極みであります。
『古事記』『日本書紀』の神話によれば、火遠理命が釣り針を失って困っておられたところに、塩椎神があらわれ給うて「無目堅間(めなしかつま)」の小舟をつくって、その舟に火遠理命をお乗せして龍宮に導かれたのでありました。ここ龍宮城に3年ほど楽しみ住まいしておられまして、鯛の魚がくわえていた釣り針を遂に発見されたのでありました。釣り針を失って苦しむとは、人の世の難しい問題に引っかかって悩み苦しむことの象徴神話であると、生長の家創始者谷口雅春大聖師は説かれました。そしてその悩みや苦しみは目無堅間の小舟に乗って龍宮へ行けば必ず解決するとの教えであると説かれています。
この「無目堅間の小舟」の神話は、ユダヤ教の『創世記』の中の「ノアの方舟」の神話であり、「ノ」はNOと現象不完全を否定し、「ア」は実相完全を肯定するコトバであり、仏教では「如来の願船」にて西方極楽浄土に渡る教えであります。
今私は、青島海岸の砂浜を歩いて、私の御親にまします三柱の神様の御許、龍宮の里に赴こうとしていますが、風強くして進むこと困難、カバンを水平にして躰がやや軽くなり、ようやく少しずつ進むことが出来るようになりました。天女が地上に舞い降りる時には、「羽衣」を身にまとうて来るというのは、「羽衣」が風に吹かれて「揚力」の作用を果たすためでありますね。ここに物理学上の理論の実証があると思われます。こんなことを考えながら砂浜を歩いて、青島に架かる橋までたどりつきました。
海上に架かる橋の上にはまた一段と激しい海風が潮のしぶきをも巻き上げて吹いているのが見えます。私はしばし橋のたもとに立ってこの強い潮風の吹きすさぶ有様を見つめていました。今この橋を渡れるだろうか、橋の上から吹き飛ばされて海中に投げ出されるのではあるまいかと。しかし男一匹、折角此處まで来て橋を渡らず逃げ出すとは何事か。よし渡ろうと私は決心しました。もしも橋の上から吹き飛ばされて海中に投げ出されたら、その時はズボンを脱いで泳げばよいのだ。水泳は得意中の得意ではないか。また海の底には龍宮があるではないか。今こそ私は無目堅間の小舟に乗って龍宮へ行くのだ。
橋の上は砂浜よりももっともっと強い風と雨と波のしぶきです。帽子をかぶっていない私の頭はちくちく痛い程の雨のつぶてです。風の強さはカバンを横にしたくらいでは間に合いません。私は両手で橋の欄干をしっかり握りしめ、更に體を水平に近くして少しずつ、前に進みました。そうしましたら私の體がすーうっと浮き上がる感じでした。ああこれも「揚力」の作用だと実感しました。
このまま體を水平にして多少背中を丸め、手足を真っ直ぐに風に向かってうつ伏せの姿勢を保つならば、「揚力」が働いて、私の體は天女の如く、天上に舞い上がるに相違ない。ああ人生は何と楽しいことか。私は自由自在に天空を泳ぎ回ることが出来る。空中で宙返りをしようと思えば、先ず地上に向かって水泳の飛び込みのような姿勢で手足を伸ばして急降下する。そして中途で全身をそらせて上空に舞い上がり、背面になったところで、ゆっくりと水平に體を戻し元の姿勢に復する。
木の葉がひらひらと宙に舞うような美しい姿勢をとって遊ぼうと欲するならば、しばしの間ゆっくりとした姿勢をとり、静かに體を横にひねって、「きりもみ」の状態になり“ひらりひらり”と空中散歩を楽しみ、また體を水泳飛び込みの姿に戻し、更に體をそらして背面で高くに登り、元に復する。まことに楽しい空中遊歩の神人の姿です。こんなことを夢想していましたら橋の端まで来ていました。
橋を渡り終わりましたら、そこに美しい赤い鳥居がありました。この鳥居は私が子供の頃から同じ所に建っていました。激しい風雨にもびくともせず毅然として建っています。神社の島の海岸を體を斜めにして進みます。やがてそこに神社が見えてきました。相変わらず風雨は激しく神域に吹き荒れています。社務所で挨拶しようと思いましたが、窓が締めてあって挨拶出来ず、手水で浄めて神前へ参りました。荘厳極まりなきお社です。拍手礼拝してお賽銭を奉納し、天皇国日本の実相顕現・御皇室の御安泰・世界の大調和実現・生長の家人類光明化運動と国際平和信仰運動の大発展を祈念致しました。
神前のお参りの後、社殿右手のびんろう樹の林の中の広場に入りました。そこは高さ15m〜20mに及ぶ直立不動の御神木の中です。其処は別世界でした。ざわざわと風雨の音はすれど、広場は静寂そのものです。ああ此處が龍宮か、現象の台風吹きすさぶ喧噪の中にあっても、此處は静寂そのもの、無目堅間の小舟に乗って渡り着く世界には台風もなく、荒波もなく、住み吉しの世界、極楽浄土、ノア一族の住む世界が此處にありました。
お参りを終えて帰途につきました。相変わらずの風雨・風波の橋の上、再び體を水平に近くして橋の欄干につかまりながら神の島を離れ、橋を渡り終え、石垣の陰にてカバンの中からスケッチブックと絵の具を取り出し、砂浜と海と島を描いてみました。雨のしぶきで画用紙が濡れました。
嗚呼、人生は何と楽しき哉!
無目堅間の小舟に乗って龍宮へ行ってみようよ!
ノアも其処へ行きましたね、あなたも行こうよ!
西の彼方の極楽浄土は今此處よ!
合掌礼拝 良本峯夫拝
