9月5日(聖徳太子のお言葉)
古い画帳を整理していましたら、こういうものが出てきました。あまりにも勿体ないと思いましたので、ここHPに格納し、永久保存したいと思いました。本当に聖徳太子のこのお言葉は永遠なるものでありますね。最高・最尊、人間として生きる道の真髄が示されていますね。三宝とは仏・法・僧のことであろうと拝察致します。
日本人は古来から人は神の子であり、比古(太陽の子・神の子)であり、比女(太陽の娘・神の娘)であると尊び、また天地万物を神さまのいのちの現れ、仏さまの現成として拝んできました。
『創世記』にも神様は御自分のすがたと同じように人をつくられたと書いてありますね。つまり人は神様の自己実現であるということですね。そしてまた神様は生きとし生けるもの全てをつくられ、ありとしあらゆるものをも創造されて、最後に「すべて良し」と御覧になりましたね。この神様仏さまの御心をそのままに、生き行こうと精進することが、人としての生きる道であろうと思います。
しかしこのようなことを真面目な表情をしながら申しますと、何かとても堅苦しい感じがして、とても人の心にはなじめない感じがするのです。どこかの山の中にでも籠もって修行したらよかろうというような感じがするのです。世間で普通の生活をしながら生きる人にとっては他人事ですね。
聖徳太子はそのような普通の人間には出来ないような難しいことを云われたのでしょうか。私はそうは思いません。「以和為貴(和をもって貴しとなす)」とは、みんな仲良く暮らしましょう、ということで当たり前の普通のことをおっしゃたのだと思います。また「篤敬三寶(篤く三寶をうやまう)」とは、仏様や神様を拝みなさい、と仰ったのであろうと思います。これは誰にでも出来る当たり前のことであると思います。
今日は木曜日で久しぶりに私は休日です。朝には自分の部屋の掃除をし本棚の片づけをしました。家内が私が掃除をしている様子を見て、めずらしいものを見るような目をしていました。あたり前と言えだ当たり前のことです。人生って楽しいですね。合掌再拝。