1月11日(『正法眼蔵』陀羅尼の巻ー真理の実践)
釈迦牟尼佛を禮拝したてまつり、供養したてまつるといふは、あるいは傳法の本師を禮拝し供養し、剃髪の本師を禮拝し供養するなり。
これすなはち見釈迦牟尼佛なり。以法供養釈迦牟尼佛なり、陀羅尼をもて釈迦牟尼佛を供養したてまつるなり。
先師天童古仏、しめすにいはく、あるいはゆきのうへにきたりて禮拝し、あるいは糠のなかにありて禮拝する、勝躅なり先蹤なり、大陀羅尼なり。
(『正法眼蔵』陀羅尼第四十九)
お釈迦さまを礼拝し供養したてまつるということは、即ち、自分に真理を伝えて下さった先輩本師に感謝供養したてまつり、また自分を真理の道に本格的に入るべく導きを給うた本師を禮拝するということになるのである。
これ即ち釈迦牟尼佛を見たてまつるということである。そして佛法をもって釈迦牟尼佛を供養したてまつり、陀羅尼(真理の聖経)をもって釈迦牟尼佛を供養したてまつることになるのである。
先師如浄古仏は教えて下さった。
「二祖の慧可禅師は雪の上に座して初祖達磨禅師に礼拝して入門を願われた。またお寺の米つき男であった六祖の慧能禅師は米糠にまみれて礼拝されたのである。これこそまことに勝れた修行であり、また後世の修行者の良い手本であり、大陀羅尼・偉大なる真理の実践であるのである」と。
