12月3日(神仏を礼拝するとは如何なることか)
神仏を礼拝するということは、何か不完全なことを完全なものにするために礼拝するということではない。もしそのようなつもりで礼拝すると、それは不完全を認めて強調するということになりかねないのである。それは心理学的に考えると、強調したものが更に確かなものになる、という結果になるのであって、益々その不完全が確固たるものになることになる。だから神仏を礼拝するということは、『創世記』第1章にあるが如く、神が全てのものを完全に造りたまうた通り、既に実相完全なる相を認めて見つめて、その完全さに感謝して礼拝するということにならねばならないのである。そこに実相礼拝の真相があるのである。神仏を礼拝し神想観を実修することが大切である。
