2月24日(聖書ヨハネ伝を読んで、生命の実相を想う)
JOHN8−23
And He said to them、“You are from beneath;I am from above.You are of this world ;I am not of this world.
(ヨハネ伝8ー23)
イエスは彼らに言われた,「あなた方は下から出た者だが,わたしは上からきた者である。あなたがたはこの世の者であるが,わたしはこの世の者ではない。(以上の英・和文は「日本国際ギデオン協会」発行の『新約聖書』より)
イエス言ひ給ふ『なんぢらは下より出で、我は上より出づ、汝らは此の世より出で、我はこの世より出でず。』(「日本聖書協会」発行の『舊新約聖書』より)
イエスが「なんじらは下より出で、我は上より出づ」自分は上から、實相の世界から来たのである、お前達は「肉體我」であるから物質から生れて出たのである。(中略)自分が實相から出て来た佛である、神の子であると云ふことを知って、その真理のコトバ、響を聞いて、汝等自身のうちに宿ってゐる實相を呼び出した時にのみ、汝等は本当に永遠生き通しの自分と云ふものを出して来ることが出来るのである。−−−(谷口雅春先生著『ヨハネ伝講義』P126より)
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キリス教聖書(英・和文)を読んでいて、所々というべきか、本当は随所に、稲光りにうたれた時のような衝動・感動を感ずることがあります。
今日も上記「ヨハネ伝」第8章23節のところで私は深い感銘を受けました。
肉体が自分自身である(beneath)と思っている限りにおいて、人は低次元の現象界にうろついていなければならない、しかし自分の実相は神より出でたる(above)神の子であるということがわかるならば、此處がこのまま天国に住む自分自身を見出すことが出来るのですね。
アメリカよ、イラクよ、北朝鮮よ、すべての国の人々よ、地球上の全ての人類よ、旧約聖書『創世記』には「神そのつくりたる全てのものを見給いけるに甚だ良かりき」と書いてあるではないですか。
實相を観ることですね。實相を観る。實相を観る。これが根本ですね。そして自然に「観ずれば現れる」のですね。
合掌礼拝頓首頓首再拝
