8月20日(特攻も殉教も超えた神の国がある)
神様の世界は現実の世界を超えている。この世界のことを「実相の世界」というのである。
生長の家の教えに触れてわかったことがある。それは仏典法華経の如来寿量品の自我偈の中に「衆生劫尽きて此の世の焼くると見る時も、我が此の土は安穏にして天人常に充満せり」とある。
考えてみると、あの戦争中、広島と長崎には原爆が投下され、日本国中が米軍の攻撃を受けて殆どが焼け野が原となった。また数百万人の軍人が戦死し、また民間人も戦禍に倒れた。国民の食料も底をついた。正に「衆生劫尽きて此の世の焼くると見る時」そのままの姿であった。
しかし現象を超えたこの世界即ち「我がこの土は安穏にして天人常に充満せり」の世界が、それこそが正に「神の世界、佛の世界、実相の世界」であるのだ。其処に神の国は在る。其処が真の日本国であるのだ。其処にこそ「人」は住んでいるのだ。其処は即ち大調和の世界である。一切の争いも悩みも無い、戦争も無い、完全円満大調和の世界である。勿論其処には「特攻」も「殉教」も無い、そのような争いも対立も超えた世界である。この世界こそ本当の世界、即ち「実相」の世界である。そしてこの「実相の世界」こそ本当に実在する世界であるのだ。
私は戦後復員して、希望も理想も失って家出の先でこの教えを知らされた。正に驚天動地の心境であった。「特攻」「殉教」も超えた世界、其処が「神の国」だ。其処が「実相世界」「実在の世界」だ。
私は迷うことなく「生長の家」の教えの中に飛び込んだ。
