8月23日(神の国を地上に持ち来たす使命がある)
終戦の日を迎えて思う
実相を観じて行じることを
良本峯夫
衆生劫尽きて、大火に焼かるると見る時も、
我が此土は安穏にして天人常に充満せり、
園林諸の堂閣、種々の宝もて荘厳せり、
宝樹華果多くした、衆生の遊楽する所なり、
法華経の如来寿量品、自我偈の中のこの一節は、御在世中の谷口雅春大聖師が説法される時に、よく引用解説された真理の言葉であります。現象の世界に如何なる不完全な相が現れていようとも、それは本来無い相であって、やがて消えてゆく相である。本当に在る世界即ち「実相の世界」は永遠不滅・完全円満である。されば“実相を観よ”“観ずれば現れるのである”と大聖師はお説きになられました。
今、私は8月15日の終戦の日を偲んで思いを巡らせています。あの昭和20年8月15日という日は、その頃の日本国の相は正に「衆生劫尽きてーーー」の時代でありました。長崎・広島に原爆が投下され、また日本国中の都市という都市は殆ど戦火に焼かれていました。そして数百万という軍人や民間人が戦死し戦火に倒れ、食料も底をついているという時代でした。
そのような混乱の時であっても「我が此土は安穏にしてーーー」、実相の世界・神の国・仏土は「宝樹華果多くしてーーー」の世界が実在するのであると、大聖師は文書に書き現わされ、説き続けられ、日本国中を説法行脚されたのでありました。そして生長の家信徒一同は大聖師の御言葉を心の奥深くいただいて、戦後の復興に努力したのでありました。その御教えは生長の家信徒の信仰生活を通して廣く日本国民の心の中にも浸透していったのでありました。
また忘れてはならない大切なことがあります。大聖師は恐れ多いことながら、昭和天皇陛下の御徳について愛国のまごころを傾けて説かれました。敗戦という未曾有のことによってともすれば日本国民としての自覚を忘れ去ろうとする世状を覚醒さすために、日本国の実相・天皇陛下の御徳について切々と説き続けらました。
今ここに昭和天皇陛下の御祈りとも申すべき大御心なる御製を拝誦したいと思います。
昭和八年「朝海」
天地の 神にぞ祈る 朝なぎの 海の如くに 波たたぬ世を
昭和十三年「神苑朝」
静かなる 神のみそのの 朝ぼらけ 世のありさまも かかれとぞおもふ
昭和二十年(終戦後の御製)
爆撃に たふれゆく民の上をおもひ いくさとめけり 身はいかならむとも
昭和二十一年「松上の雪」
ふりつもる み雪にたへて いろかへぬ 松ぞををしき 人もかくあれ
かくして日本の国はは廃墟の中から復興することが出来たのであります。考えてみますと現今の世界の情勢というものは、イラクの問題や、テロといった国際的な混乱が現れ、また深刻な地球環境の問題、遺伝子改変の問題など、これまでに人類が経験したことのなかったような問題が多く現れておりますが、これ皆現象界の出来事であり、それは一時的な現象であって、その奥に「宝樹華果多くして、衆生の愉楽する所」の実相世界があるということを認識して、実相顕現を祈りつつ、生長の家は人類光明化運動・国際平和信仰運動を進めて行くのであります。
世界平和の祈りを行います。
「神の無限の愛、、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う」
合掌再拝
