8月7日(『正法眼蔵』「洗浄の巻」)

『正法眼蔵』「洗浄の巻」“大小便処を洗う”
偉大なるかな道元禅師の御教え、
それを解説される生長の家総裁谷口清超先生の御教え。

洗大小便おこたらしむることなかれ。
 (大小便をしたら必ず、その所と體を洗い浄めることを怠ってならない。)

舎利弗、この法をもて外道を降伏せしむることありき。
 (お釈迦様の弟子の舎利弗は、この大小便を洗うということを外道に真面目に教えたところ、この外道は救われて悟りを得たということです。外道とは即ち一切衆生をも含むものと廣く解釈してもよいでしょう。)

外道の本期にあらず、身子が素懐にあらざれども、
 (このように外道が救われたというのは、外道が自分で救われたいと思ってそうなったというのではないし、また舎利弗がこの外道を救ってやりたいと特別に思ってしたことでもないが)

佛祖の威儀現成するところに、邪法おのづから伏するなり。
 (佛粗といわれるような人の自然な生き方は、それを見、また聞くということだけで外道も救われることになるのでしょう。東京駅で旅行者が駅員に“トイレはどこですか”と尋ねれば駅員は“はい、そこのところを左に行った所にありますよ”と教えてくれます。この旅行者はどのような作法で用を達したことでしょうか。用便後“どうも御深切にありがとうございます。”とお礼を言います。その態度に駅員は感動して救われることでしょう。)

 『正法眼蔵・洗浄の巻』において道元禅師は詳細綿密に“トイレの法”を教えていられます。生長の家総裁谷口清超先生がそれを詳しくわかりやすく解説しておられます。即ち『正法眼蔵を読む』下巻です。この“トイレの法”では「不染汗」「仏祖の身心」「爪と髪を切れ」「浄髪の心得」「大小便処を洗う」「厠(かわや)の作法」「叉手一揖」「厠に入る前に」「厠中の作法」「尻を浄める」「手を洗う」「香木を使う」「礼拝の資格」「先ず洗浄せよ」「相伝の仏儀なり」と綿密に説かれています。

 嗚呼、私もトイレに行きたくなりました。この頃トイレが近いので、皮膚科・泌尿器科の医院に通っていますが、どうやら正常に戻りつつあるようです。ありがたいことです。『正法眼蔵を読む』下巻・洗浄の巻、をトイレの中で読みました。合掌再拝。