10月7日(昭和37年1月なつかしき 「生長の家青年農業者研鑽の会」の峯夫の日記)

見知らぬ(見忘れた?)人が置いて行かれた 前記「伊勢神宮復興奉仕高校生練成会」の写真の中に なつかしい「生長の家青年農業者研鑽の会」の写真もありましたので ここに私の昭和37年1月の日記を載せました。これは今から42年前の日記です。
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昭和三十七年一月十二日金曜の日記(句読点以外は原文のまま)
 晴 早朝神想観  青年農業者研鑽の会 前夜 於宇治
 朝の大拝殿の神想観は素晴らしい神想観であった。相当に冷えて寒かった。自分はしみじみと思った。神想観という行を教わってよかったと思つた。神想観という行がどれくらい素晴らしいものであるかということを、自分は恐らくまだ千分の一も知らないだろう。然し自分には、もうとても神想観を止めてしまう勇気は全くない。今後自分は神想観を永久に続けて行くであろう。
 夕方から青年農業者研鑽の会である。今夜は別室に集まって自己紹介だけをやった。正直なところ自分はこの農業者研鑽の会には全く自信が無かった。これをやることを決めたのは、もう何ヶ月も前のことであったが 今日の今まで何をやっていいかわからなかったが、今夜、二十数名集まって自己紹介をやっている中に、曙光が見えて来た。神の導きであるに違いない。夜おそくまで 佐脇・安積・良本・松木・菊池・島崎で明日のスケジュールについて話し合った。

一月十三日土曜 晴 早朝神想観 青年農業者研鑽会 第一日(句読点以外は原文のまま)
 農業者研鑽の会弟1日は午前七時半から十時までを「土に生きる農業青年の願い」として体験談を発表してもらい、菊池計夫君の話と佐脇講師の話しを聞く。午前・午後は月次祭のお祭りと菊地部長の記念講演、夜は別室にて農家の「嫁」を主題にして、よもやまのの座談会をひらく。いろいろな問題が話し合われた。終って支部(註 現在は教区)の農村問題対策部長六名にて打合わせ会をひらく。
 明日のスケジュールの組み方について、いろいろ意見をきく。それが終わって、講師だけで打合わせ会を眞剣にひらく。素晴らしい結論が出た。此の調子で行けば今度の弟一回目の農業者研鑽の会は成功するに違いないと思われる。何とか成功させたい。そして重大な転機に立っている日本の農業に対して、救いの手を差し延べたい。それが即ち日本の実相顕現への重要な課題の解決ともなるのである。

一月十四日日曜 晴 早朝神想観 青年農業者研鑽の会 第二日(句読点以外は原文のまま)
農業者研鑽の会は何もわからぬままに第二日を迎えた。午前の「協業化について」の座談会では農村の暗黒面ばかり消極面ばかりの話しが出て、一体これでいいのかとがっかりした。また午後の座談会でも、一体何しにわざわざ研鑽の会を開いたのかと心配になって来た。高知から来た高校生が言っていた。「僕はもっと素晴らしい会かと思って来たが、こんなつまらない会なら来なければよかった」と。其処で僕は祈りの間に行って祈った。
 夜の座談会「土に生きるよろこび」はおかげ様で神様の智慧をいただいて素晴らしい話し合いとなった。切に神に感謝した。

一月十五日月曜 晴 早朝神想観 青年農業者研鑽の会最終日(句読点以外は原文のまま)
 午前中で研鑽の会を終了した。随分無理をして開催したのだが、神の導きによって素晴らしい成果をあげることが出来、また将来の大体の見通しがついたことを嬉しく思う。吾が功績に非ず。この計画に参画して下さった全ての人々の賜である。愈々御教えが農村にも浸透し得る時機が訪れたのである。自分は自分の全能力を発揮して自分の責任を遂行して行くことを固く神に誓う。