12月13日(法燈継承を考える 
『正法眼蔵』鉢盂の巻)

『正法眼蔵』鉢盂の巻ーー仏祖を参学する
七佛向上より七佛に正傳し、七佛裏より七佛に正傳し、渾七佛より渾七佛に正傳し、七佛より二十八代正傳しきたれり。第二十八代の祖師、菩提達磨高祖、みづから神丹國にいりて、二祖大祖正宗晋覚大師(慧可禅師)に正傳し、六代つたはれて曹谿にいたる。東西都蘆五十一傳、すなはち正法眼蔵涅槃妙心なり、袈裟・鉢盂なり。ともに先佛は先佛の正傳を保任せり。かくのごとくして佛佛祖祖正傳せり。

法統継承の象徴である「鉢盂」は過去の七佛よりも以前から、七佛・七佛へと伝えられ、また渾ての七佛から七佛へと伝えられたのである。更に二十八代の達磨禅師へと伝えられ、達磨禅師は神丹国(中国)に来られて、二祖の慧可(えか)禅師に正傳し、それから更に六代伝えられて曹谿の慧能(えのう)に継承された。東の印度・西の中国と五十一代に亘って伝えられたのである。それが即ち正法眼蔵涅槃妙心(中心帰一生命の實相)であり、嫡嫡相承の袈裟・鉢盂そのものであるのである。このようにして先佛から先佛へと佛佛祖祖と正しく厳かに継承されたのである。

『正法眼蔵』鉢盂の巻ーー奇特の事
先師天童古仏、大宋寶慶元年、住天童日、上堂云、記得、僧聞百丈、如何是奇特事。百丈云、獨坐大雄峯。大衆不得動著、且教坐殺者漢。今日忽有人、問浄上座、如何是奇特事。只向他道、有甚奇特。畢竟如何、浄慈鉢盂、移過天童喫飯。

先師天童古仏禅師は 大宋国の宝慶元年のこと 浄慈寺から天童山に移住された日 法堂に上がられて次のようなお話をされた。
私の記憶によると 或る修行僧が百丈和尚に質問した。 「如何なるか是れ奇特の事とは」と。「世の中で一番“奇特”と云われる素晴らしいことは何でしょうか」と。それに対して百丈和尚は応えられた。“獨坐大雄峯”であると。それは大いなる山の峯に登って独り座禅を組む事であると。
皆の者よ 世の大衆よ 心を動揺させてはならないぞ。しばらくこの私の話すことを聞き給え。今日或る人が仮に私如浄に「如何なるか是れ奇特の事とは」と質問したとしよう。その時私はこのように応えるであろう。「何の奇特などというものは何もない、当たり前のことが其処にあるのみだよ。 君たち解るかね、結局どういうことであるかと云うことがわかるかね。私は只 浄慈寺から 鉢盂をここ天童山に移して、此処で喫飯する。この当たり前のことが即ち奇特のことである」と。

(以上谷口清超先生著『正法眼蔵を読む』下巻P561から先に、非常に深い道元禅師のお言葉を、解りやすく解説してあります。ここでは私良本峯夫がそれを拝読して、自分でわかるような言葉で読んで書いてみました。私はこの内容は所謂「法統継承」ということにもなるものだろうと勝手に想像したのです。)