12月8日ー1(大東亜戦争開戦の日を思い起こして)

大東亜戦争 開戦の日
 今日は大東亜戦争の開戦の日です。思い起こせば 昭和16年12月8日 日本海軍航空隊の真珠湾攻撃によって 大東亜戦争は始まりました。その時私は旧制の中学2年生でした。その朝登校したら 学校の掲示板に新聞が張り出されてありました。大日本帝国海軍航空隊の攻撃によって多大の戦果を挙げたことが書かれてありました。その新聞記事は私の脳裏に強い印象を与えたものでした。その時私は 自分も海軍軍人となって 戦争に参加しなければならないと 思ったかどうか はっきりと覚えてはいません。 
 しかしそれから2年後の昭和18年10月1日 私は大日本帝国海軍甲種飛行予科練習生となって 鹿児島海軍航空隊に入隊しました。そこで基礎訓練を受け 次に宮崎県の富高にある 富高海軍航空基地で 飛行術練習生として 飛行機の操縦訓練に従事しました。 その訓練で私は飛行機の操縦技術の全てを学びました。しかし戦局は次第に押し迫り 遂に特攻隊が編成されて 身を捨てての特攻攻撃が行われるようになりました。
 私の所属していました部隊は 富高航空基地から 山口県岩国の航空隊に移動しました。そして岩国から 次には茨城県の霞ヶ浦海軍航空隊へと 移動しました。ここで練習機による操縦訓練をしていましたが 今考えてみますと その頃の日本海軍航空隊にはもう飛行機の数は少なく また操縦の搭乗員の人数も少なくなっていて 私の所属分隊の30名は 恐らく最後の特攻要員として貴重な存在であったのではなかろうかと想像されます。
 実は其処霞ヶ浦海軍航空隊にいる時 昭和20年8月15日を迎えたのでありました。私は自分が海軍航空隊の数少なくなったしまった特攻要員として 御国のために 一命を投げ打って戦いに死することは とても光栄なことであり 人生最高の悦びであると 真からそう思って操縦訓練に励んでいました。その頃の私の心情を今 思い起こしてみますと 私の心の中には 敵を憎む心などというものは 全く無かったようです。ひたすらに光栄ある特攻戦死という心だけがあったようです。