12月8日ー2(大東亜戦争 終戦を思い起こして)

大東亜戦争 終戦の日とその後
 昭和20年8月15日 この日 恐れ多くも 天皇陛下の玉音ラジオ御放送があるので 拝聴せよとの指令がありました。 私達搭乗員一同は兵舎に整列して拝聴致しました。 ラジオは雑音ばかりが響いて 御声は全く聞き取れませんでしたが、只の御一言「耐え難きを耐え、偲び難きを偲び」という御言葉だけが聞こえました。この御言葉を拝聴して私は思いました。これは戦局が急を告げている故に 搭乗員は益々戦意高揚して 耐え難きを耐え 偲び難きを偲びて 戦い抜くべしとの 思し召しの御激励の御放送であると解釈しました。
 ところがだんだん解ってきましたのは、あの玉音御放送は “戦争をやめる”との思し召しの御放送であったのだということでした。部屋に帰って物思いに沈んでいましたら、隣の部屋の士官室から 痛切な青年士官の声が聞こえて来ました。それは「我々は正義のために戦いを始めたのである 勝つためではない それを戦争をやめるとは何ごとだ 腰弱の重臣共の画策ではないか」というものでした。
私の所属の分隊30名は8月15日以前に命令を受けていました。それは霞ヶ浦から北海道の千歳海軍航空隊に移動せよとの命令でした。坐学(講堂での講話のこと)では千歳にジェット機が在って、片道燃料で敵国爆撃に向かうというものでした。確か8月20日頃だったでしょうか、私達はその命令通り 列車に乗って千歳に向かいました。これから最後の決戦に向かうのだとの勢いでした。千歳に向かう途中で妙な感じにうたれましたね。それは終戦になって、陸軍の兵隊さん達が大きな荷物などを背負って、もう戦争は終わったので郷里に帰るのだという姿でした。我々航空隊はこれから最後の決戦をするのだというのに、妙な感じでした。