2月23日(宗教は原理主義を超えて)
ーー原理主義を超えてーー
ニューヨークでのテロ以来、暗澹とした世界状勢が続いていますが、このテロは多くの場合、宗教の原理主義に基づくものだと考えられます。或る特有の時代に説かれた宗教のコトバの熱心な信仰は、時として原理主義に陥ることもあると考えられます。現実の社会状勢の中で説かれた教えを、時代が変わった後までも固執して言葉通りを絶対視していますと、そこに偏狭な原理主義が芽生えて来るようです。
最近、私宛に時々メールが来て、何故この頃の生長の家は愛国運動をしないのかとか、憲法復元の運動を何故止めたのかとか書いてくる人があります。
これを機会に私は谷口雅春先生から直接にお聞きしたことをここに述べさせていただきたいと思います。 それは、総本山に「七つの燈台」が建立される以前のことですが、熱心な愛国者であった今は亡き或る教化部長さんが、山頂に憲法復元運動を象徴するような燈台を建立しては如何でしょうかと申し出たことがありました。そのことを私が谷口雅春先生に直接口頭でお伝え申し上げたのです。谷口雅春先生は、にこにこ笑顔をなさりながら「そんな政治的なことをーーー」と一言仰いまして否定されました。
その時私は“生長の家の御教えは時代に合致した形で方便自在に説かれる”ものであると納得し、その旨を教化部長さんにも伝えましたらその教化部長さんも納得していました。
実際、憲法復元ということが説かれた時代は、日本国内に赤旗が氾濫し、あたかも革命前夜かと思われる時代で、その頃に生政連も結成されたのでありましたが、その後、社会情勢の変遷とともに生政連も解散となり、山頂には谷口雅春先生の御指示によって「龍宮住吉霊宮」と「七つの燈台」が建立されたのでありました。
宗教にとって大切なことは、根幹となるべき御教えはいささかも変わることはないのですが、しかし時代に応じて色々な方便説法があるということです。
今の時代はどういう時代でしょうか。谷口雅宣先生著『信仰による平和の道』とか『神を演じる人々』に書かれている内容のことをよく理解し、布教することがとても大切な時代だと私は思うのです。原理主義を超えねばなりませんね。
