4月14日(美しくも尊き母の愛 八十九歳の母と 六十五歳の一人息子)
大東亜戦争にて 戦死せる 夫の残せる ひとり子を 玉の宝と 育て来たりし 男の子も 六十五歳となりぬ その母は 八十九歳となりても この子可愛いと 寝ても覚めても 幸せ祈り 可愛がり来ぬ
赤ん坊も 年月の 経過と共に 青年となり 大人となりて 一人前の人生を 雄々しく強く たくましく 家庭も持ちて 生活し来たりしが 何のはずみか うち倒れ 病いにかかりて 半身不随とはなりぬ
人間神の子 病い無し かねてより 生長の家の信仰を 持ち来たりたる 八十九歳の母は 吾が愛児の 健康を 昼も夜も 神に祈りて おりたれば その甲斐ありてか 息子は 元気を回復し 母子二人して 生長の家の 練成会に参加せり
生長の家の練成会は 人間神の子 実相円満完全の 悟りへと導く“行”なれば 母子ともどもに 実相の悟りを 確立し 悦びの生活に 向かう準備の整いたり
練成会の 最終日の 朝食時 この上もなく 悦びと 感動の ひととき
嗚呼 八十九歳の母よ あなたは 何と尊くも 愛深き 人の子の母なるか あなたは イエスキリストの母なるか はたまた 釈尊の母なるか それをも超えたる 観世音菩薩の母なるか
躰の不自由にて 食事の箸をも 持ち得ぬ 六十五歳の 可愛き息子の 口元に
嗚呼 母は 赤ん坊に“おやつ”や“ご飯”を食べさせた 六十五年前の 仕草にて 左手に お椀を持ち 右手に持てる箸にて 可愛い我が子の 口元に 「ご飯を お食べ 美味しいよ」と 赤ん坊に もの言う如く 六十五歳の 可愛い我が子に 練成会の食を与えたり
赤ん坊に還りたる 六十五歳の 息子の顔は にっこりと 微笑み お母ちゃんの おっぱいを吸うが如き あどけなき 笑顔にて 美味しそうに 食べたり お母ちゃん ありがとう と声には出さねど その笑顔は まことにも 天使の顔か
嗚呼 尊き哉 母の愛 麗しきかな 母の心 有り難きかな 親の御恩 この母の愛は 一体 どこから 生まれたものであろうか 母の心の奥底に 神の愛が ましますのであろうか 母は 限りなく 尊い愛をもって 我が子を いつくしみ 育て給う そして子供は その母の愛を いのちいっぱいに いただいて 限りなく
美しく 生きる
何ものをも 報いを 求めざる 母の心 唯ひたすらに 我が子の幸せを 祈り 行ずる母 神の愛 仏の慈悲 それをも超えたる 母の子を想う心 有り難きかな 嗚呼
有り難きかな ありがとうございます ありがとうございます
