8月15日ー2(59年前の終戦の時のこと 人生いろいろですね)
私は古里の父の面影を偲びながらも 自分は お国のために身を捧げるのだ との意識は少しも変わることもなく 動揺することもなく 汽車に揺られて 千歳空港に到着しました ところが千歳には 聞いたような ジェット機などはありませんでした 私たちは 千歳空港の周辺にある 防空壕での生活をすることになりました 一体これはどうなっているのだろうと思いましたが どうすることもなく そこで数日を過ごしました。
実はその時 私は ものすごい歯痛に悩まされました 防空壕のベットに寝ながら 水の入った水筒を ほっぺたに くっつけて 痛みを止めようとしましたが なかなか痛みはとまりませんでした。
その時 思いました 自分は特攻機にて 敵艦に体当たりするのは 少しも苦痛に思わないのに この小さい歯の痛みには 耐えられないというのは 一体これはどうしたことなんだろうと。
千歳で数日過ごしていましたら また どこからか命令が来ました 今度は美幌空港に移動せよと 後で考えてみましたが 一体このような命令は 何処から出たのだろうかと 千歳空港を後にして 美幌空港に行きました しかし其処にも 目指すジェット機はありませんでした 美幌には 立派な兵舎が残っていました そこにはまだ多くの航空隊関係の士官・下士官・兵が残っていました。
美幌航空隊で見聞した 一人の日本軍人の姿 こんなことを 本当はここに書きたくないのですが その後の私の人生の生き方の 醜い教訓として 頭にこびりついていますので ここに ちょっと書いてみます 日本海軍では下士官の最上位の その上は 準士官ですが どういうものか 誰の命令か 終戦とともに 軍人の階級が 一つずつ上に上がりました。当然下士官の最上位の者は 準士官になるのですが 準士官になると 服が違ってくるのです ところが 終戦で その新しい準士官の服が無い それで その軍人は 服は下士官の服のままで 帽子と襟章だけを準士官の格好をして 嬉しそうに 得意げに兵舎の中を 歩き回っているのでした その姿を見て 私は 何とも言えない 可笑しさと 醜さを感じました これが 「名誉欲」 というものかと。
しかし 私がこんなことを ここに書くからといって 日本軍人を軽蔑しているのではありません 日本軍人は 立派な人ばかりです 偉大な日本軍人ばかりです ただここに これは 観世音菩薩の示現として 現象の姿形にとらわれず あらゆる肉体・現象の欲望にとらわれることなく 汝 峯夫は「名誉欲」など それを超えて 生きて行けよとの教示であると ずーっと あれから 59年もの間 思い続けてきた次第です。
