1月13日(峯夫の日記・丁度30年前の今月今日 谷口雅春先生御夫妻が西彼町に引っ越して来られました)
丁度30年前の昭和50年1月13日、この日谷口雅春先生御夫妻が、東京から長崎県西彼町にある生長の家九州別格本山の総裁公邸に引っ越して来られました。先生をお迎えした日の前後の峯夫の日記です。
ーーー峯夫の日記ーーー
昭和50年1月12日
朝から吹雪が舞ってゐる。ものすごく冷へる朝だ。それでも練成員は張り切ってゐる。
谷口雅春先生をお迎へするのに、天が地を浄めてゐるのである。身の引きしまる思ひがする。それと共に何か体内に熱いものが流れてゐるやうな感じである。今日は一日中お迎への準備に忙しかった。
何か歴史的な一大事を迎へて天も地も一時に震動してゐるやうな感じである。お山の女中さん達も夜八時過ぎに、佐世保の買物から帰って来た。幹子も一緒に佐世保に行った。
昭和50年1月13日(月)
きびしい朝の寒さである。
今日は正に歴史的な一日である。谷口雅春先生が九州別格本山にお出でになる。草も木も皆よろこびと感激に打ちふるへてゐる。唯今、本部総企画局の寺内耕司氏から電話があり、谷口雅春先生には午前九時二十五分、お車にてお山を御出発、羽田空港へお発ちになった、と伝へて来た。
午後二時十分定時に先生御一行は大村空港にお着きになった。信徒たち二百人程お迎へに出た。後、車にて総裁公邸に向はれ、午後三時二十分お着きになった。公邸には近郷近在から八百名の信徒が歓迎に集まった。
先生御夫妻には、いともにこやかに皆に御挨拶された。誌友たちは先生を地元にお迎へして感激である。先生には原稿締め切りがつまってゐて、夜もあまりねむってをられない御様子である。いつまでも、いついつまでもお健かにわたらせられますやう祈ります。ホイートグラスを島君が最初のものをお山に持って行った。
先生が公邸に落ち着かれて、何だか、「ぴたり」と天地が落着いた感じである。不思議なことである。
昭和50年1月14日
午前11時、西彼町の町長さんが、谷口先生にお目にかかりたいとの連絡があったので、お伺ひしてみたら、心よくお許しがあったので、その旨連絡したら、車に乗って町長さんがやって来た。応接室にて先生御夫妻がお会ひになった。この部落の氏神様はどこですか、と先生がおたづねになった。お札はありませんと答へてゐた。椎野大神のことを僕がお話しした。先生御夫妻には非常に御きげんがよい。町長さんは三十分ばかり居って帰った。午後は町の有力者や近所に引越しの挨拶に僕が廻った。今日は小春日和の良い天気であった。練成は一日練成で山に献労に行った。
昭和15年1月15日
練成会は非常に好い雰囲気である。今回の練成会は若い人が多い。これから先は若人がますますふえるに相違ない。午後の献労では、つつじを植えた。総裁先生御夫妻にはお元気で、多少の時間の余ゆうもあるらしく子供(先生の「ひ孫」)と遊んでをられる。道場もわが家も息災である。有り難いことだ。
昭和50年1月16日
総裁先生より御指示。
一、本山は肉食すべからず。
一、お山の食事は本山と同じものを買ふこと。
一、テキストは『眞理の吟唱』とする。
