1月20日(峯夫の日記 震災3日後 1月20日の日記 自転車で教化部へ)
峯夫の日記(平成7年1月20日・震災の3日後)金 晴
朝から今日はトイレの水を近くの小川(ドブ川)からバケツ二つで汲む。五回ぐらい汲んだが、それを漉して、幹子が洗濯を始めた。これは素晴らしい。成程、水は少しも濁ってはいないのである。泥が濁って、それが風呂桶の底に沈澱してゐるのがよくわかる。ここに眞理があった。また幹子と二人で昨日講師会長が持って来てくれた水のタンクを担いで本山の公園の給水場へ行った。美味しい水をもらって、背負って帰る。
教化部のことが急に気になり出した。タクシーは一台も通って居ない。あんなに多くあったタクシーは一体何処に行ったのであろうか。腹を決めた。歩いて教化部へ行こう。歩く準備をして玄関を出ようとしたら、光明が“唯今”と東京から見舞いに帰って来た。然も自転車に乗って! 大阪で自転車を買って来たらしいのである。その自転車に乗って僕は教化部へ行った。途中は瓦礫の山。教化部は建ってゐた。然し中は、ひっちゃか・めっちゃかである。パソコンは生きてゐたが、プリンターは駄目、本部の人が二人で留守番をしてくれてゐた。
西岡氏が願成寺のお墓と烏原を見廻ってくれた。墓は音吉様のを除いてみんな倒れてゐたと言う。筒井君も来た。教化部を片付けるのに、だいぶ努力が要るだろう。据え付けたばかりの音響機器は健在であった。
教化部の帰り、北野の人見陽一郎氏を見舞った。元気で無事であった。ガス・水道・電気、何も来てゐないらしい。庭に穴を掘って便所をつくると言ってゐた。
また自転車で帰る。幹子と光明が待っていた。體を拭いてさっぱりして寝に就く。本部の地震対策が決まったとメールで知らせ来た。神さま今日も一日有難うございました。
