2月4日(10年前の阪神・淡路大震災の折りの私の記録です。
地震で家財道具などが凡て壊れましたが、御飯を食べる箸だけが折れずに残っていましたので「箸は折れなかった」という題で書き残したものです。10年後の今日、その文章がワープロに残っているのを見つけましたので、原文のまま此処に(下記に)に載せたものです。)
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SUB:箸は折れなかった。(1)
1995/01/18(07:39) 兵庫教区 教化部長 良本峯夫拝
地震報告(1)
合掌 ありがとうございます。
世界中の皆様神戸から報告致します。
私はただ今、近くの避難所の甲南小学校から夜明けとともに帰って来ました。電気がついているので、ワ−プロに向かい、取りあえず何かを報告致します。 被害の状況は皆様テレビの報道でご存じと思いますが、生長の家の誌友さん達の安否の程はまだ私のもとに情報が入っておりませんのでわかりません。(現在、18日07:39)わかり次第報告致します。ああNIFTY-Sserveがつながらない。
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1月17日朝6時頃、ぐらぐら、どすんどすん、と、きました。地震です。タンス、本箱、テレビ、等々、食器棚等、すべて倒れました。 先ず、マンション5階の住まいの鉄のドアを開けろ。玄関入り口のこんな所に下駄箱を置くな。下駄箱が倒れて玄関に出られないではないか。ガシャガシャガサッツ。エレベ−タ−が動いていない。非常階段から下へ下りよ。非常階段1階のドアが開かない。押しても引いても開かない。裏口はないか。あった。裏口から外へ出ろ。
外は電信柱が倒れている。コンクリ−トの塀が、べらっと倒れている。マンション5階の前の部屋の高校生の女の子が、真っ青な顔をしている。無理もない、1年前にお父さんを交通事故で亡くしているのだ。「大丈夫だ、頑張れ」。
1時間程、外でうろうろして、螺旋階段で5階の部屋へオ恐る恐る入って見ると、あっと驚く為五郎、部屋の中はめちゃめちゃ。部屋の片付けをする。先ず、買ったばかりのパソコンは無事か。台からトンボがえりで下に落ちている。壊れたかどうかはは使ってみなければわからない。とにかく台の上に置く。
部屋の食器棚が倒れている。食器は粉々全滅。それでも朝から献労で働いたので少しは腹が減った。昨日の残りの飯を食おう。あれ茶碗がみんな割れちゃってない。仕方がない。割れたので食べよう。冷や飯。これがよいのだ。
おお、お箸だけは、この地震に割れもせず、折れもせず、悠然としているではないか。箸は哲学者である。(これは何処かで聞いたことがある言葉だ)
ライフラインという言葉をはじめて携帯ラジオで聞いた。電気、電話、水道、ガスの都会生活の柱であるそうな。それが全部止まっている。都会の災害はなかなか大変なことだなあと思った。 以上。 合掌再拝。/E
SUB:箸は折れなかった(2)
1995/01/18 兵庫教区 教化部長 良本峯夫拝
合掌ありがとうございます。
地震報告(2)
17日夜は、マンションにいるのは危険であるとのことで、近くの避難所、甲南小学校に毛布を担いで、マンションの住人たちと一緒に避難しました。私は、ふと、其の時、旧約聖書の「出エジプト記」を思いました。モ−セは斯くの如くして、イスラエルの民を引っ張って荒野を通り、約束の地カナンに行ったのだろうかと。 避難所へ行く道々、マンションがつぶれているのや、家屋の倒壊があり、幼い子供が泣いているのが、可愛そうでなりませんでした。病院では、電気がつかないので、怪我人を玄関の前に寝かせて看病している有り様です。
暗くなって避難所へ到着。体育館は超満員です。やむなく校舎の玄関に毛布をかぶってねましたが、寒い。 外は十五夜の満月がこうこうと照り輝いています。電気がなくても外は歩くことが出来ます。これは神様の御導きの光です。神様ありがとうございます。
食べ物がないので、私は大変有り難いと思いました。(私だけです)と言いますのは、私は1年前に癌で入院手術をしましたが、その時、体重が10キロ痩せたので、体調が良く、これはしめたと思ったのも束の間、半年も経たぬうちに、元を通り越してしまい、この頃は太り気味で痩せたい願望。しかし食べ物を見ると容赦なくぱくつく有り様。どこか食物の無い世界はないものだろうかと、無い世界へ行けば、食べないですむ。そんなことを考えているこの頃でした。 ああ、此の世は心の思う通りになる世界ですね。神戸に食べ物が無い世界が遂に訪れました。昨日から食べていないので身体快調です。(これは私だけの世界です)
神戸には食物と水と毛布がなくて困っている人が大勢います。子供や、赤ちゃんやお年寄りに愛の手を。そして亡くなられた2000名余の人達の御冥福をお祈り致します。御遺族の方々の悲しみはいかばかりかと、お察し申し上げます。 以上 合掌再拝 /E
SUB:箸は折れていなかった(3)
1995/01/18(12:35) 兵庫教区 教化部長 良本峯夫拝
地震報告(3)
合掌ありがとうございます。
発祥道場(藤棚の家)は無事でした。
私共夫婦で発祥道場に行って来ました。私のマンションから15分で行ける距離にあるのですが、この辺が一番被害が大きく、いたるところ、家屋やビルが倒壊して道を塞いでいるのです。 藤棚の家は昭和5年の頃、谷口雅春先生御夫妻がお住まいの家で、今から63年前に、ここで生長の家は始まったのです。今は発祥道場として、保存されてあります。地震による被害はどうかと思ったのですが、松ノ木が見え、藤棚がみえて来ました。無事でした!
道路側の板塀が少しいたんでいるだけでした。それと、お庭の石がころがっているくらいでした。妙法蓮華経の如来壽量品第十六「衆生見劫尽、大火所焼時、我此土安穏、天人常充満、園林諸堂閣、種種寶荘厳」。この釈尊のお言葉が其処にありました。 国際本部からの連絡で、救援物資を積んで、トラックで東京から、救援に来て下さるとのこと、御愛念有り難く感謝申し上げます。ただ途中の道路事情がどうか、気にしています。以上 合掌再拝 /E
SUB:箸は折れなかった(4)
1995/01/19(07:30) 兵庫教区 教化部長 良本峯夫拝
地震報告(4)
合掌ありがとうございます。
ラジオによって情報が次第にわかってきました。死亡された方が3000人を超えたらしいのです。生長の家の誌友も1人亡くなられたそうです。心より御冥福をお祈り致します。近くの避難所には自衛隊の給水車が来ています。人探しの公報車が大きいスピ−カ−で、「○○さん宝塚の○○さんのお宅に連絡して下さい」等と廻っています。 今朝のNHKラジオでは、エルサレムにいる特派員との電話連絡で、イスラエル政府が日本の地震災害救援のために、軍隊を派遣したいと、日本政府の申し入れたと報じています。イスラエルの軍隊はテロ等で、ビルが破壊された場合の人命救出の経験が深いそうです。この申し入れを日本政府は丁重に断ったそうです。また、パレスチナのアラファト議長からは、日本政府に対して「おくやみ」の情を表して来たそうです。 イスラエルとパレスチナ、他国の窮状を共に愁える気持ち、その気持ちをお互い同士に表明してほしいものと思います。3000年来の確執を超える道は、いずにありや、もうそれは「人間神の子」の実相の自覚以外にはないことでしょう。国際平和信仰運動です!!
以上 合掌再拝 /E
SUB:箸は折れなかった(5)
1995/01/19(17:30) 兵庫教区 教化部長 良本峯夫拝
地震報告(5)
合掌ありがとうございます。
やっとNIFTY-Sserveにつながりました。地震報告(1.2.3.4.)は同時にUPしました。 今日午後1時頃、教化部から電話連絡あり。本部の救援隊の、佐保秀壽氏と西村誠氏がトラックに救援毛布900枚を積んで教化部に到着、すぐに神戸市の救援本部に運び込んでいただきました。御愛念感謝致します。あと、もう1隊の方が来てくださるとのこと、誠に誠にありがとうございます。 未確認の情報ですが、誌友さんの中から数人の方が亡くなられた様子で、胸を痛めております。 17:00、アメリカの誌友の矢頃智子さんから、国際電話でお見舞いのお言葉をいただきました。アメリカのテレビで、本住吉神社の被害の模様が放映されたそうで、居ても立ってもいられなくてお見舞いの電話を下さったそうです。感激でした。 私は東灘区のマンション5階に住んでいるのですが、今でも、ビリビリ地球が動いているのがよくわかります。地球は確かに生きて動いています。地球を大切に愛してあげることが大切と、しみじみ思います。 地球さん、私達をあなたの上に住まわせていただいて、ありがとうございます。ありがとうございます。決してぞんざいに思いますまい。粗略に扱いますまい。感謝致します。ありがとうございます。
以上 合掌再拝 /E
SUB:箸は折れなかった(6)
1995/01/21(06:30記) 兵庫教区 教化部長 良本峯夫拝
地震報告(6)
ゴミ拾い
合掌ありがとうございます。
昨日、近くの避難所である住吉中学校に飲み水を貰いに行きました。神戸市の水道局のタンク車が来ていました。薬缶1杯の水をもらいました。この学校の体育館や教室に1000人以上の人達が泊まっています。ボランテイアの青年達が勢い良く立ち働いています。町内会の人達も、運動場の横で薪を燃やして、大鍋でお湯を沸かしています。奉仕の人達の生き生きした顔は印象的でした。 ここで私は、まことに尊い素晴らしい光景を目にしました。一人の初老の男性が、黒いビニ−ル袋を下げて、素手で、運動場に山のようにちらかっているゴミを拾って廻っていました。
私は感激して、持っていた軍手を差し出して、これを使って下さい、と言いましたら、「いいえ、あなたは避難して来ているのでしょう、手袋は大事ですから、自分で使って下さい。私は百姓の出ですから、素手の方がやりやすいのです。」と、にっこりした顔は大黒様に見えました。 以上 合掌再拝 /E
SUB:箸は折れなかった(7)
1995/01/21(11:00記) 兵庫教区 教化部長 良本峯夫拝
地震報告(7)
自転車
合掌ありがとうございます。
どうにも教化部のことが気になって、行こうと思えども電車なし、タクシ−も1台も走っていない。道路は混んで、殆ど車は動いていない。 3時間位かかれば行けるから、歩いて行こう、と支度をして玄関を出ようと思った所へ、息子が「ただ今」と東京から帰って来ました。しかも、何と大阪で自転車を買って乗ってきたというではありませんか。渡りに船と、この自転車に乗って教化部へ向かいました。
途中は瓦礫の山です。ビルが傾き、家屋が倒壊。警察、消防、自衛隊が出動して救済活動をしています。道路の信号は無し。自転車に乗るのは何年ぶりか、すいすいと自転車は走ります。ガソリン不要の車です。不思議に自転車は走り続けます。まるで海洋を滑るヨットのようです。早い早い、零戦よりも早い。少しのよどみもなく自転車は走ります。不思議です。登り坂では後ろから何者かが押してくれているようです。下り坂では自然にブレ−キがかかります。 私はどうも、昔から災害に出くわす癖があるようです。一番最初は伊勢湾台風でした。伊勢神宮災害復興の練成会には2年間通い続けました。次は新潟地震の救援隊。その次は長崎水害、この時は長崎南部の教化部長でした。そして今回は兵庫県南部地震。住吉大神は宇宙浄化の神様です。人類の過去の悪業を浄めて下さいます。私の現在の住居は神戸市東灘区住吉本町の住吉ハウスです。生長の家の神様が私を使って、宇宙浄化を果たして下さるのだと、有り難さに涙が流れます。自転車は三宮あたりの地獄のような所をスイスイ通って、丁度1時間で教化部に到着しました。 教化部の建物は外から見ると、真っ直ぐ立っています。中へ入ってみますと、見るも無惨、あらゆるものがひっくり返っています。教化部長室へ入ってみました。無惨なり。本部借用のパソコンがぶら下がっています。プリンタ−は転げ落ちてグシャッツ、本棚は横倒し。 壁を見ました。谷口雅春先生御夫妻のお写真が少しもゆがまず、かかっているではありませんか。にこやかな笑みをたたえられて。谷口雅春先生ありがとうございます。ありがとうございます。 教化部は職員は出払って、本部から来られた救援隊の方が留守番をして下さっていました。ありがとうございます。本部と教区と一体であるとの感じを深く致しました。ありがとうございます。 以上 合掌再拝
SUB:箸は折れなかった(8)
1995/01/21(15:30記) 兵庫教区 教化部長 良本峯夫拝
地震報告(8)
救援物資
合掌ありがとうございます。
20日夜11時頃、生長の家本部救援隊第2隊トラック2台が教化部に到着、御愛念ありがとうございます。本部と静岡教区と愛知教区の職員の方々です。その夜は教化部に宿泊していただきました。 今日21日は神戸市の灘区と東灘区の区役所に物資を下ろし、その後また別の物資を積んで被災地に向かっていただきました。私も自宅の近くの東灘区役所に出向いて荷物下ろしを手伝いました。いろいろな心尽くしの食料や飲料水等、御愛念の程をしみじみ感じました。全国の教化部長の皆様、本当にありがとうございます。
特に本部の方では、黒河内理事長先生を本部長に救援対策本部を設置していただき、全国に呼びかけをしていただくことになりまして、ありがとうございます。地元も頑張ります。 以上 合掌再拝
397/404 HFG01061 良本 峯夫 箸は折れなかった。(9)
( 8) 95/01/23 17:12
1995/01/23(15:00記)本部隣接の高級宿舎「西館」にて。
兵庫教区 教化部長 良本峯夫拝
地震報告(9)
トイレの水
合掌ありがとうございます。
拡大最高首脳者会があるので、わが家を朝7時に自転車で出発、荷物はリュックに入れて自転車の荷台にくくり付け、国道2号線を東へ、一直線。 自転車道(歩道)に家が倒れていたり、敷石がめくれているので、走れる歩道は半分位いしかない。車道に出ると後ろから車が来るので危ない。それでも私の乗った自転車はすいすい走る。不思議だ。 1時間程で西宮竜宮道場に到着しました。道場は、外側の壁は殆ど落ちて、屋根の瓦もずり落ち、2階の冷房機が置いてある付近の壁が道路の方に膨らんでいます。これは大修理か立替か。35年経っている木造では致し方ないなと思いました。
竜宮道場から、地元の十倉講師の車に乗せてもらって、阪急電車「西宮北口駅」へ、ここから大阪梅田への電車が通っています。梅田からJRで新大阪駅に行きました。堪えていたトイレに突っ走る。ウンと落として、ハンドルを押しましたら、あら不思議、水がダダダッと出て、サッと流すではありませんか。ああ、トイレの水が出た。感激です。わが家では住吉川に水汲みに行っていたのに。 被災地の避難場所では、トイレの水がないのです。男はまだいい、女性は困っています。救援の食料が次第に来るようになったのは有り難いのですが、食べたら出さねばなりません。トイレの水、トイレの水。
新幹線「のぞみ」に乗って東京へ。今、本部に着きました。御報告・御挨拶の後、西館に入りました。身体が臭いので何よりも風呂に入りたいです。家内に電話をしまして、これから風呂を沸かして入るぞ、と言いましたら「そんなこと言わんといて、殺生な」でした。被災地の人は、ここ一週間風呂に入っていないのです。 明日は最高首脳者会です。本部で皆様にお目にかかるのを楽しみにしています。 以上 合掌再拝 /E
