3月28日(その人の傍にいる幸せ)
“その人の傍にいる幸せ”
青年會活動を通して結ばれるーーー(昭和33年『理想世界』誌に掲載 23歳)
夜更けの表通りに良人の足音がきこえる。私は耳を澄ませてそれを待つ。こんな楽しみを覚えてから一年と少しになりますが、私にはもう数年も前からこうしているような気がするのです。
入信と同時に青年會に入らせて頂きました私は、毎週一回開かれる例會には必ず出席して、一日も早く青年會の御用に役立つ自分になれますようにと希いました。私が初めて出席した頃、或る會員が提案なさったことを、可と考えた私は、次の例会の時にその件を申しました。
「それも悪くはないでしょうが、當分の間委員長のいう通りを實行して下さい。」自信に満ちた決然たる、その方の態度に、私は強く打たれました。“信仰”の二字をもって力強く聖道を歩む人ーーそんな感じが、度重なる例会の都度、私の心に響いてきました。
やがて五月の全國大會、お導きによって私はつたない體験を、雄辯大會東京豫選に述べさせて頂き、私が東京代表と決められて後、大きな責任を感じて、きたるべき本選に備えての原稿を、彼に幾度見て頂いた事か。一言一句内容を確かめるために、私の生い立ちを訪ねられたり、お話ししたり、やがて全國大會も終え、肩の荷が降りた私は漸く彼の人柄に親しみを覚えました。
一見こわい感じの人、でもこれ程決断力の強い人、いわゆる男らしさ、御教えに對するひたむきな態度、この方なら間違いはないと、何か大柱に寄りかかりたいようなほのかな心の動きを覚えるのでした。或る日の例會が終わった後、偶然に二人きりになることがあって、私達は、とある喫茶店でお茶を飲みました。
店内には静かに音楽が流れていました。その香り高いメロデイーにきき入る私はなにかしら心の安らぎと、しみじみとした、幸福感にひたっていました。と、突然、「結婚しましょう」と彼が申しました。とっさのことに私は返す言葉もありませんでした。
「しかし僕はこれから故郷の父母にお伺いの手紙を出します。あなたも今夜家に帰ってお母さんによくお話し下さい。私達の結婚は誰の反對もなくすべての人に祝福されるものでなければならないと思います。」
簡にして明なる彼の言葉に、私の胸は躍り上らんばかりの嬉しさにときめきました。勇み帰った私はすぐ母に事の次第を報告と同時にお願い致しました。母は一も二もなく承諾して下さいました。
この人こそ私の生涯の伴侶、お父さまお母さま、そして私達の周囲にいます全ての皆さま、私達の希いをお許し下さい。私は真けんに祈りました。一日千秋の思いで待つ父上の御返事は、十日程後に、
「父に依存はない、萬事結構、早速挙式の日取りを知らせよ」とのこと。祈りはかなえられました。神様はお考え下さいました。この儘でよろしいのでしょうか。こんなにも幸福でーーーーこの時から私は新たな祈りを加えました。
「私の良人は神さまの御手足です。今日よりは私を良人の手足としてお用い下さいませ。固い運命の岩石にも私達二人を通していのちを膨ませて下さいませ」 閉ざす瞼の中に一条の光が射し込む心地でございました。(良本幹子)
