5月21日ー2(78歳の父の教え お父さん ありがとう ほんとに有り難う 僕は教えを
守って 生きて行くよ)
父(雅号・楽山)の教え)(2)
「油 断 大 敵」(ゆだんたいてき)
峯夫よ 油断するな 毎日 こつこつと 勉強せよ 怠らず 神想観せよ 決して人の欠点を見たりするな 実相を観よ 実相を観て 明るく語りかけよ 頬笑みかけよ。
峯夫の日記 (昭和53年6月15日)
油津の兄から電話にて深夜。今夜10時6分 父は昇天した。
遂に吾が父は帰らぬ人となった。数へ年八十九歳の生涯であった。僕は五十年間、この父に育まれて来た。
峯夫の日記(昭和53年6月16日)
幹子と二人 油津に飛ぶ。父は既に柩に納まってゐた。安らかな寝顔であった。何か、顔全体が 恐らく身体全体が小さくなって まるで童児の様であった。梅ヶ浜の火葬場まで行く。父は帰らぬ人となった。親戚や知人が多数 夜更けまで焼香に来てくれた。光明も鹿児島からやって来た。もう父は居ない。此の世には居ない。母が泣いてゐる。
不思議に淋しさと悲しさと共に、何か若い者達や 親戚の者たちとの笑ひ声が高らかである。父は悲しみと共に喜びを僕たちに残して あの世に去って行ったのである。
峯夫の日記(昭和53年6月17日)
今日が葬式である。多勢の人たちが お焼香に来て下さった。生長の家からもたくさんの弔電が来た。朝八時に火葬場に骨をひろひに行く。父は骨と灰になってゐた。
幹子が「これで肉体無し」といふことが よくわかると言ってゐた。
父の骨を“つぼ”に入れる。
葬式が終って、梅ヶ浜の新しい墓に埋葬。父が自分でつくった自分の墓である。
「良本家先祖代々之墓 昭和四十九年五月 良本久市 建之」と書いてあった。用意周到の父であった。これから僕達は 山之口の墓と 梅ヶ浜の墓と 両方に参ることになる。楽しいことになるであろう。父はとうとう居なくなった。
