5月21日(78歳の父の教え
息子の僕も78歳になっちゃった)
父(号・楽山)の教え(1)
合掌 ありがとうございます。
昭和42年8月に 78歳になった父から「色紙」をいただいたのでした。この「色紙」には裏と表と両面に 父からの 可愛い可愛い息子の私への 「教え」というべきか また「プレゼント」と言うべきか 「遺言」とでも言うべきか 息子の私にとっては 生涯の教えであると受けとって 今日まで 大切に書棚に保管しておいたのでした。
そして 息子の私自身が今 父と同じ年の 78歳になって この父の書き残してくれた「色紙」を見ているのです。父は師範学校を卒業して 小学校教員 そして校長先生を経て その後も村や町の諸役職にも就き 晩年には 毎日のように 自宅近くの廣渡川の堤で 魚釣りをして過ごしていました。息子の私は 一年に一度くらい 古里 父母の許に帰っていましたが いつも にこにこと 息子の私を 喜び迎えて 可愛がってくれました。その父も 昭和53年6月15日 数へ年89歳で亡くなりました。
「自 彊 不 息」(じきょうふそく) 彊=強
自らを強くして 決して止むことはない。汝 強く生きて行け。
「峯夫の日記」(昭和53年5月25日)
油津から電話あり。父の容態が悪化して来たとのことにて、午後4時半の飛行機に幹子と二人乗って、油津に帰る。油津の父は意識があるのかないのか、僕が帰って来たのがわかったのか、わからないのか、わからない。兄弟4人 今夜泊まる。父が死ぬやうな気持は全然実感として湧いて来ない。父はいつまでも生きてゐるものである。遺書を兄から見せてもらった。僕にも土地をくれるやうなことが書いてあったが、僕は此の前来たとき、「僕は遺産は何も要らない」と父に約束してゐるのである。全て兄達にわけてあげたい。
