5月31日(限りなく 尊く 有難い 親の愛)

              見守る親の愛を背中に受けて
 
 今朝、自宅から出勤途中、まことに美しい光景に出会いました。
大きなマンションの玄 関の前で、背の高い父親か、或いは祖父かも知れない男性が端然と立って、可愛いラン ドセルを背負った小学校六年生くらいの女の子が、学校に行くのを見送っているのです 。
道は一直線の歩道で数百メートル。 女の子は後ろを振り返り振り返りして手を振ります。それに応えて父親も手を振るので す。何回も何回も。
 
 女の子が街角を回って見えなくなっても、父親はじっと立っています。何かを祈ってい るかのように。
いつの世も親というものは有り難いもの。親は我が子の幸せを切に願って、愛し育てて くれます。
 それにしましても、今朝見た光景、端然と不動の姿勢で立って見送る親と、 可愛い眼差しで見返る子供の光景は尊くも美しいものでした。
 
 この時、ふと私は昔のことを思い起こしました。昭和十九年の暮れのこと、戦争は日本 の敗戦の色濃く、私の所属していた宮崎県にある富高海軍航空隊では連日、特攻訓練を していました。
 
 たまの休日、外出先に私の母が面会に来てくれました。 食料難の中を私の好物 「おはぎ」 をこしらえ、また交通難のところを、くぐり抜けての 面会でした。おそらく母は、息子は航空兵であるから、戦死すると思っていたでありま しょう。
 
 私と母は夕刻まで一緒に民家で過ごしました。そして別れる時が来ました。 母に別れの挨拶をして、私は民家の玄関を出ました。航空隊の近くまでは田圃道です。

  私は背中に、見送る母の心の視線を強く感じましたが、この時の私の意識は、
 
 「うしろを 振り返るな、未練を残すな、お国の為に死に行く者が、何の未練ぞ」というものでした 。

  あれからもう六十年以上を経た今、その時の若い自分の心情を 「あっぱれ、いさぎよし 」 と思っています。
 
 今朝の親子の愛の光景は限りなく美しいものに感じられました。

嗚呼、お父さん・お母さん、ありがとうございます。ありがとうございます。