7月15日(随想 戦時中の母の想い出)

随想 「母と子」 峯夫の戦時中の想い出
 久しぶりの日曜日の休日(戦時中の昭和19年のこと)、白い風呂敷に包んだ弁当を小脇にかかえて、急いで航空隊の隊門を出た。目指す行き先は下宿である。今日は郷里からおふくろがご馳走を持って面会に来てくれているのだ。なつかしいおふくろの顔。それに多分ご馳走は“おはぎ”であろう。なにもかも配給制度の中で、とぼしいわか家の食料の中から、末っ子の可愛い息子のために、遠い道のりをはるばると、やっとの思いで汽車の切符を手に入れて、戦争が次第に激しくなって、息子がいつ戦死するかも知れないと。

 息子の同級生の誰ちゃんは南方で戦死した。また誰ちゃんも華と散ったげな。ましてや吾が息子は航空隊で飛行機を操縦しているのだから、特攻隊でいつ戦死しても不思議ではない。
 
お国のために男の子は捧げねばならないということはわかっているのであるが、しかし母は悲しいのである。わが子が限りなくいとおしい、可愛いのである。あの子は生まれた時から色白で、笑ったときの顔は何とも可愛くてたまらなかった。それがだんだん大きくなって今ではお父さんをしのぐ程になった。航空隊に志願する時も親には相談することもなく、僕は、お国のために戦うのだと。いつの間にこんなことを言えるように成長したのだろうかと、親は不思議でたまらない。

 下宿では、おふくろは家族のことや従兄弟のことなど話して聞かせるが、生来無口の息子はあまり語らない。黙って“おはぎ”を食うばかり。

 やがて時間は過ぎ去り、息子は隊へ帰る時刻となった。下宿の玄関を出ると隊への道は田圃のなかを、まっすぐ一本道である。「さいなら」とそこで別れた。息子はおふくろに背を向けてまっすぐ歩く。息子は後ろを振り向いておふくろに手を振って挨拶しようと思ったが、いやここで後ろをふりかえってはいけないんだ、それは未練というものである。戦いに死に行く者がなんで後ろを振り返るのだ。

 息子は背中におふくろの熱い涙の視線を感じながら遂に振り向くこともなく、まっすぐに歩いて行った。息子は隊に帰り吊床に入ってからしみじみ思った。母の愛は限りなくありがたいと。
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   (「虹のかけ橋」“母親教室対策部だより”第9号 S63.6.1)より。
   (母上 初様は 平成7年6月30日 100才と48日でみまかられる。