8月15日(61年目 廻り来たる大東亜戦争終戦の日)
61年目の大東亜戦争 終戦記念日が巡って参りました。僕は今日 8月15日 休暇を利用して 郷里の日南市油津に帰郷しています。お盆のお墓参りと 年取った姉たちや従兄弟達に挨拶のためです。
太平洋の夜明け さし昇る朝の太陽 限りなく美しい夜明けです。この太平洋に昇る朝日を見ると 僕は何とも言えない感動に胸が打ち震えるのを覚えるのです。 嗚呼 僕は日本に生まれてよかった。生まれてから今日まで 間違いなく 僕は日本のお国のために 働き生きてきました。そしてこれから先も 死ぬまで お国のために力を尽くして働くことにします。死んでからも 霊魂となってからも 日本のために 霊力をもって愛国の誠を尽くします。
思い起こせば61年前の今日 昭和20年8月15日 僕は大日本帝国海軍・霞ヶ浦海軍航空隊で 航空機操縦訓練に明け暮れていました。 その時 天皇陛下の玉音御放送を拝聴致しました。ラジオはどういうわけか 雑音ばかりで 殆ど御声を聞き取ることは出来ませんでした。しかし只 御一言 御声が 私の耳に聞こえました。その御声は「ーーー耐え難きを耐え 忍び難きを忍びーーー」という御声でした。今でも 僕の魂の底深くには この御声が 限りない感動として焼き付いて残っています。 やがて次第にその御放送は「戦争をやめる」との御言葉であるということが わかって来ました。
僕が所属している航空隊の居室の 隣の部屋は海軍士官の居室でした。その士官室から荒々しい言葉が聞こえて来たのを今でも覚えています。 その言葉は「我々は正義のために戦いを始めたのである。勝つためではないのである。それなのに降伏とは何ごとか。側近達はけしからんことをやっている」と。
僕は隣の部屋の士官達のこの言葉を聞いて“士官達は変なことを言うもんだなあ”と思ったことでした。
僕たちが所属していた操縦分隊は 終戦になる前に移動命令が出ておりまして 北海道の千歳の航空基地に行くことになっていました。其処には最新鋭のジェット機が備えてあって そのジェット機の操縦のための座学(ことばで操縦技術を学ぶ)を数回受けていました。そして終戦の数日後に 列車に乗って千歳基地に移動しました。移動の途中に 陸軍の兵隊さん達が 大きな荷物を背負って「もう戦争は終わったから古里に帰るのだ」とどんどん復員して行くのに出会いました。変な感じでした。
北海道での列車の中で 一人の紳士と 僕の同僚との間で激論が交わされるのを 僕は聞きました。その紳士は言いました「日本人は天皇陛下の御命令を素直にお聞きすることが大切であります。天皇陛下が戦争をやめると仰せられているのだから 私たちは戦争をやめるべきです それが日本人としての生き方です」と。これに対して僕の同僚達は「あの終戦のお言葉は あれは腰の弱い側近達が画策したことであるのだ 我々はこれから本格的な戦いをするのだ」というものでした。
僕がその時 思ったことは あの紳士は年格好が 僕の古里の父によく似ているが 僕の父は今度の天皇陛下の終戦の御言葉を どのような気持ちで聞いているのであろうか ということでした。即座に僕は頭の中で解答出来ました。それは 僕の父もあの紳士と全く同じ気持ちであるに相違ないと。(このことを生前の父に聞こうと思っていましたが 残念ながら聞かないうちに 父は昭和53年6月15日に数え年89歳で亡くなりました)
さて僕達は千歳の基地に行きましたが 予定のジェット機など何もありませんでした。数日を千歳基地で無為に過ごしていましたら 次に再び移動命令が来ました。美幌の航空基地へ行けと。其処にこそジェット機が置いてあるのだということでした。僕たちは今度こそと意気込んで美幌の基地へ移動しました。ところが行ってみましたが美幌基地には何もありませんでした。僕達は其処でぶらぶらと数日を過ごしました。
また命令が来て「もう戦争は終わったから全員古里へ帰れ。但し巷には“搭乗員狩り”があるらしいから 飛行機乗りのような格好をして帰るな」というものでした。僕達は美幌の駅から汽車に乗って復員の途につきました。各駅停車の汽車に乗って函館へ 函館から連絡船に乗って青森へ 青森からは貨車に乗って日本海の方を回って大阪へ 大阪で山陽線に乗り換えて広島へ 広島では悲惨な原爆の跡を見ました。これでは戦争に負けるのも無理はないと思いました。広島で乗り換えて汽車は九州へ。
久留米の駅で 鹿児島本線で帰る者と 久大線で帰る者との最後の別れです。いのちの兄弟 同期の桜 同じ航空隊の庭に咲く 血肉分けたる仲ではないが 何故か気が合うて別れられぬ 駅のホームで 一人々々を互いに「胴上げ」して別れました。僕は久大線に乗り 大分駅で日報線に乗り換え 一人で故郷の油津に帰りました。
油津駅で下車し 父母の待つ なつかしの我が家へ歩いて帰りました。我が家へ着いて家を見ましたら 戦争で機銃掃射を受けたらしく 家の壁に穴があいているのが目立ちました。我が家の玄関前に立ち 家の中を眺め見ましたら 父と母が 奥座敷の中で 火鉢を囲んで 寂しげに 向き合っているのが見えました。
僕は大声で「ただいま」と声をかけました。そしたら母がびっくりしたような顔をして玄関まで出てきました。 そして僕を見て その目は 何度も何度も 僕の頭から ずーっと足先まで見つめているのでした。もしや息子の幽霊ではないかと思ったのでしょうか。息子は特攻隊であることを 母は知っていたのでしょうから。
ここまでが僕の人生の一つの区切りとでも言いましょうか。
