8月15日ー2(終戦 されど移動、霞ヶ浦から千歳へ そして美幌基地へ)
8月15日ー2(終戦の日を思い起こして)
移動命令ーー霞ヶ浦航空隊から千歳航空隊へ、そして更に美幌航空隊へ。
霞ヶ浦航空隊における座学(軍隊で講堂などで講演を聴いたりして勉強すること)に於いて、北海道の千歳空港にジェット機が配備してあって、それに片道分の燃料と爆弾を積んで太平洋を越えて敵地に行き自爆する。そのために千歳に移動するのであるというようなことでした。
吾々の分隊30名は、汽車に乗り、青森から連絡船に乗って、はるばると千歳空港に行きましたが、其処にはジェット機等は何もはありませんでした。千歳では吾々は防空壕の生活でした。
実は私は千歳に居るとき、ものすごく虫歯が痛くなり、防空壕の中で、一升瓶に水を入れて、ほっぺたにくっつけて冷やしたことを覚えています。空港には歯医者はいませんでした。
こうして数日間、なにもない千歳空港で日を過ごしていましたら、また命令が来ました。どこからの命令か覚えていませんが、同じ北海道の美幌空港へ移動せよ。其処にジェット機が置いてあるというものでした。吾々30名はまた汽車に乗って美幌空港に移動しました。
いよいよ今度こそ“あっぱれ特攻死”の時であると思いました。が然し美幌にもジェット機などは何もありませんでした。其処でまたぶらぶら日を過ごしていましたら、また命令が来ました。その命令は何と「もう戦争は終わったから、古里へ帰れ」というものでした。
