9月6日ー3(峯夫の80歳誕生日の思い出 終戦 千歳基地・美幌基地)
霞ヶ浦基地から千歳基地へ移動する時の思い出があります。
それは北海道内の車中で、私の同期の連中と一人の紳士との間での論争です。同期の者が言いました。「今回の終戦というものは、あれは弱気の取り巻きの連中が画策したものである。吾々はこれから最後の決戦をするのである」と。
それに対して紳士は言います。「吾々日本人は天皇陛下の御詔勅を唯素直に拝聴し、実行することが臣民としての正しい道である」と。
車中でこのような論争がつづきました。私はこの論争を横の方で聞いていて思ったことでした。この紳士はその態度といい言葉といい、何処か私の郷里の父に似ている。父だったらこの論争のどちらに賛成するであろうかと。
父はきっとこの紳士の言うことに賛成するであろうと思いました。
私達一行は千歳基地に着きましたが、此処には予定の特攻ジェット機は何もありませんでした。ここでは防空壕の中に寝泊まりするだけで数日を過ごしました。私は此処に居る時、ものすごい奥歯の歯痛を感じたことを覚えています。寝る時は水の入った一升瓶を頬っぺたにくっつけて寝たものです。早く特攻で突っ込んで死にたい等と思ったことでした。
また次の命令が来ました。美幌基地へ移動せよと。同期一行30名は汽車に乗って美幌基地へ行きました。しかし此処にもジェット機は置いてありませんでした。美幌基地にはその時もまだ多くの基地所属の将兵が残っていました。何もせず只飯を食うだけの生活をしていました。
其処で印象に残っている光景があります。それは海軍の一人の上等兵曹が終戦と共に一階級昇進して準士官となっていました。ところが準士官として着るべき士官服がもう基地には無いのです。それで彼は帽子だけは準士官の帽子を頭にかぶり、服は下士官服を着ているのです。そして得々として歩き廻っているのです。何ともみっともない姿でした。私はその時思いました。これが日本軍人の姿かと。いのちをかけるるべき海軍軍人が見栄や名誉や昇進にのぼせあがって、何ということかと思ったことでした。
やがてまた命令が来ました。「もう戦争は終わったから郷里に復員せよ」と。
