9月6日ー5(終戦となり復員 古里の父母の許に帰る)
19−9−6−5
父母の許に帰ったその日に、驚いたことは、まことに終戦直後のその頃としては考えられないことがありました。それは「美味しいお菓子」が僕のためにとってあったことです。こんな美味しいお菓子は生まれて初めて食べました。僕が美味しそうに食べているのを観た父が言いました。「このお菓子は数日前に町から配給されたものである。きっと近いうちに峯夫が帰って来るであろうから、峯夫に食べさせようと、とっておいたんだよ」と。
僕は感動しました。本当に美味しかったです。今もそのお菓子の味は忘れられません。
こうして古里へ帰りましたが、さてこれから何をして生きて行くのか見当もつかない日々が続きました。今までの僕の人生は、親元で小学校・中学校そして軍隊、然も特攻、真心からお国のために日本人として青春の命捧げて来た。それが全く理想を失って、たまに映画を観に行ったら、映画が始まる前にニユース画面が出て次のように言うではありませんか。この言葉は60年後の今も僕はそのまま覚えています。然し僕はこの言葉には同調出来ず反発して腹が立ちました。
「この戦争は天皇制政府の暴虐であったのであり、戦死した人は全くの犠牲者であり犬死であったのであります」と。
また空を仰げば、時々アメリカ軍の戦闘機が我が物顔に日本の空を自由に飛んでいます。それを見ると「今まであれと戦っていたのに」と、下から石を投げたくなるのでした。このような次第で、僕は何ともやり切れない思いで一日々々を過ごしていました。僕の両親は息子のこのような姿を見てどう思ったことでしょうか。
ある日僕はやり切れない思いが募って、軍隊から持ち帰った日本刀で、部屋の中の柱や壁を斬りつけました。父がそれを見ていたようですが、僕がいない間に、その日本刀を何処かへ隠してしまいました。60年後の今もそれは見つかりません。また探そうとも思いません。父はもう霊界に旅立っています。
