11月15日(峯夫の略歴)

峯夫の略歴(日記帳及び記憶による)(平成20年11月15日作成)(21/10/24加筆)


○昭和2年9月6日誕生 宮崎県南那珂郡飫肥町(今の日南市)
○昭和18年10月1日 旧制飫肥中学4年生で鹿児島海軍航空隊(予科練)入隊
鹿児島海軍航空隊ー富高海軍航空基地ー岩国海軍航空基地ー霞ヶ浦海軍航空隊と移動。
○昭和20年8月15日(前記の霞ヶ浦海軍航空隊で終戦を迎える)
○終戦後数日経って、霞ヶ浦から北海道千歳の海軍航空基地へ移動
○続いて美幌海軍航空基地へ移動(此処で戦争をしないことになった)
○北海道の美幌から汽車に乗って郷里の九州宮崎県日南市へ復員する。
郷里に帰り着いたのは昭和20年9月20日頃か?
○昭和21年6月頃、郷里を去って北海道へ。縁あって江別町の町村農場へ入る。
 此処で、高橋青年から生長の家の御本を読めとすすめられる。
 読んで感動した。次々と生長の家の御本を読む。
 農場で働きながら、江別の生長の家誌友相愛会や「青年会」活動に参加す。
○昭和24年4月、町村農場を去って、北海道の利尻島のニシン漁業に働きに行ったが、 ニシン漁業不振のため、あきらめて東京へ。
○昭和24年5月の飛田給道場の練成会に初めて参加して感動。
○東京に在住して、北海道で知り合いの牛の牧場(四谷軒牧場)に住み込み、牛の乳搾り アルバイト。この頃から生長の家東京青年会の活動に励む。
○昭和24年9月 日本経済短期大学の夜間部に入学
○昭和26年3月に短期大学卒業(1年半で卒業した。不思議)
○昭和26年4月、再び北海道江別町の町村農場に住み込んで働く。
○生長の家北海道「江別青年会」の活動に励む。(1年間) 
○昭和27年4月上京す。明治大学政治経済学部夜間部3年に受験合格
○生長の家東京青年会の活動に燃える。
○昭和29年3月明治大学卒業。
○昭和29年4月、生長の家東京青年会の事務局長として奉職。
○昭和31年10月 結婚しました。
○昭和33年4月、生長の家本部青年部に奉職(青年会中央部事務局長)
○昭和34年ーー36年 伊勢神宮復興奉仕練成会に生長の家本部の担当者として奉仕。
○昭和40年 大分教区教化部長拝命
○昭和43年 生長の家本部・青年会長拝命
○昭和49年10月 九州別格本山(現総本山)に転勤。
 同時に長崎北部教化部長を兼務、後に長崎南部教化部長兼務
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◎昭和50年1月13日。 谷口雅春先生・谷口輝子先生が東京から引っ越して来られて 総裁公邸に御入居されました。
◎昭和53年11月21日ー27日 総本山・龍宮住吉本宮落慶鎮座奉祝大祭。(,良本宮司拝命)
◎昭和60年6月17日 谷口雅春先生御逝去。
◎昭和60年11月22日 法燈継承祭(谷口雅春先生から谷口清超先生へ)
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○昭和63年4月1日 兵庫教区教化部長拝命
○平成8年1月ー3月 岡山教区教化部長拝命(兵庫教区と兼務)
○平成8年4月1日 愛知教区教化部長拝命
○平成17年4月1日 兵庫教区教化部長に再拝命
○平成19年4月1日ー5月31日 全国講師拝命
○平成19年6月1日 東京第一教区教化部長拝命。  

○平成21年6月1日より全国講師として本部宗務課に勤務