8月4日(皇恩に唯々感謝いたします
 大東亜戦争終戦の日を思い起こして)

大東亜戦争終戦の日を思い起こして
皇恩に感謝

 毎年八月になると昭和二十年八月十五日・終戦の日のことを思い起こします。私はあの日は霞ヶ浦の海軍航空隊で連日特攻訓練に明け暮れていました。その日、八月十五日。

 天皇陛下のラジオ御放送を隊員一同は整列して拝聴致しました。私達はお国のために我が身を捨てて喜び勇んで特攻訓練に従事していましたので、御激励の御コトバであると思って拝聴致しました。ところがラジオの放送はガヤガヤと雑音ばかりで、少しも御コトバは聞き取れませんでした。だだ一言はっきりと聞こえた御コトバがありました。それは

「たえ難きをたえ、しのび難きをしのび」ーーーー

 この御言葉を拝聴して思ったことは、全力を傾け尽くして特攻の使命を果たせ、という御激励の御コトバであると思いました。ところが時間と共にわかったことは、この御放送は“戦争をやめる”という御コトバであるということでした。

私が所属していた航空分隊は終戦になる前に命令で北海道の千歳航空隊に移動することになっていました。その命令通り終戦になってから一週間後に列車に乗って千歳に行きました。然し行ってみたら飛行機は何もありませんでした。続いてまた命令が来ました。美幌の航空隊へ行けと。美幌へ行きましたが飛行機など何もありませんでした。また命令が来ました。「戦争が終わったから郷里へ帰れ」と。

 私達一同は北海道の美幌から各駅停車の列車に乗ってそれぞれの郷里に帰りました。私の郷里は宮崎県の油津町(今は日南市)です。何日かかったか覚えていません。帰郷しても全く生き甲斐を感じませんでした。

 半年ほど郷里にいましたが、じっとしていられなくなって、私は詩人カールブッセの詩

   「山のあなたの空遠く 幸い住むと人のいうーーー」
 
 このコトバに魅せられて、郷里を後に家出して、再び元来た道をたどって、汽車に乗って北海道へ行ったのでした。そして不思議な縁あって、乳牛の牧場に住込みで働き出したのでした。

 実はその牧場に居る時に、私は生長の家の御教えを知りました。友達が聖典を私に読めと勧めてくれたのです。私は聖典を読んで感動しました。そして牧場の近くの生長の家誌友さん宅で開かれている誌友会などにも参加するようになり、聖典を買っては読みふけり、月刊誌も購読するようになりました。生長の家の御教えを勉強しているなかで一番私の魂を打ったことは、
 
 天皇陛下の恩愛のことでした。あの終戦を御決意なされた時の大御心、そして身を捨ててマッカーサー元帥を御訪問なされた時の大御心、ひたすらに日本の国を護り、国民の幸せを祈り給う大御心。このことを知った時、私は身も心も感動感謝でいっぱいになりました。そして御製を拝して自分の魂が打ち震えるのを覚えました。

終戦時の御製四首 
   
 爆撃にたふれゆく民の上をおもひ いくさとめけり身はいかならむとも

 身はいかになるともいくさとどめけり ただたふれゆく民をおもひて
 
 国がらをただ守らんといばら道 すすみゆくともいくさとめけり
 
 外国(とつくに)と離れ小島にのこる民の うへやすかれとただいのるなり

昭和二十一年御製(歌会始 松上雪)

 ふりつもるみ雪にたへていろかへぬ 松ぞををしき人もかくあれ

               (御製は日本教文社刊 夜久正男氏著『歌人・今上天皇』より)

 私は日本人として生まれ、生長の家の御教えをいただいたことを此上もなく有り難く感謝しています。
ありがとうございます。感謝合掌。