12月14日(昭和59年11月の峯夫の日誌から 雨乞いの御祭り)

合掌 ありがとうございます。
 僕は50年前から毎日「日記」をつけていますが、年末整理で僕の本棚の整理をしていましたら昭和59年の日記(下巻)を何となく開いてみたくなりました。さらさらと読んでいましたら、十一月九日(金曜)・十日(土)・十一日(日)の日記が心にとまりました。
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昭和五十九年十一月九日(金曜)
 朝八時、總裁邸よりお電話にて谷口雅春先生の御指示にて、此の頃全国的に雨降らず、困窮してゐる状況であるから、みんなで、雨乞ひのお祭りをするやうにとのことであった。午後一時からお祭りをした。午後の献労では枯松の切り出し。山の中で元気よくやった。僕は本宮の周りの”つたかずら”を切ったのであるが、意外に多いのである。この”つたかずら”にやられると、他の木は枯れたり折れたりしてしまふのである。
 
谷口雅春先生より、祭務部長宛に文書による御指示あり。
 シルクロードのあたりには昔は優秀な民族が居た筈なのに、土地が砂漠化してしまって、今はその民族は何処に行ってゐるのかわからないのである。今、日本は雨が降らないで困ってゐる。砂漠にならないやう龍宮住吉大神さまに雨乞ひの御祭りをして、雨をいただくやうにと。
 言葉を多勢で声に出してお祭りをするやうにと、唱へる言葉も教へて下さったのである。谷口先生は、いつも全人類の將来の幸福についてお考へいただいてゐるのである。

十一月十日(土)
『無病常楽の神示祭』及び『雨乞ひの御祭り』
谷口雅春先生はみんなで大声で次の言葉を三回ずつ唱へよと仰せられた。

「吾れ祈れば天地応え、吾れ祈れば宇宙動く」
「住吉大神出でまして、この日本列島の旱魃を救ひ給ふ」
「住吉大神、天之水分り神(あめのみくまりのかみ)出でまして、龍宮海の無量の水量を 吸ひ揚げて雨と変じて天より雨降らし給ふ」

今朝はこの言葉を大声で練成員一同で唱へたのである。
谷口雅春先生のお言葉(御文章)は次の如くである。
「祈っても直後すぐに雨降る訳には行かないのは、雲が移動して来るに適当量の時間を要するからであります。けれども祈る人の誠心と信念あれば雲が動いて必ず雨が降ります。」

十一月十一日(日曜 雨後曇)
祈りがきかれて昨夜あたりから、かなりの雨が降り出した。有り難いことである。今日は教化部にて講師会。『人類無罪宣言』のテキストである。
「雨乞ひの祭り」の話しをしたところ、みんな感激した。講師研鑽会も講師会も今日は充実した日であった。