8月16日ー2(北海道から東京へ、飛田給練成会に参加)
昭和24年2月頃、私は農場に別れを告げて、北海道の利尻島に行き、漁猟のアルバイトをしました。残念ながらその年は漁猟が少なく、賃金にならなかったのですが、何とか汽車賃を工面して東京へ出て来ました。
(それは高橋君が飛田給の第1回の練成を受けて見違えるような輝かしい心境になって帰って来たのを見ていたからです。私も生長の家の練成を受けて高橋君のような人間になりたいと切に思ったからです。)
昭和24年5月に飛田給の練成会に参加しました。あの頃の練成会は2週間の練成でした。もう何とも言えない輝かしい明るい然も崇高極まりなき生長の家練成会でした。この練成会を受けて私は本当にすっかり人間が変わりました。「神の子無限力」です。
練成会が終わって私は東京に滞在して、色々なアルバイトをしながら「生長の家青年会」に入会し、青年会活動を始めました。その頃、私は短期大学の夜間部に入学して勉強しました。(私は戦時中に旧制中学の4年生で中途退学し予科練に入隊しています)
青年会活動と、アルバイトと、短大夜間部の生活です。面白かったですね。後になって考えてみますと、よくもあんな多忙な生き方をしたもんだと、我ながら感嘆しますね。しかしその頃は面白かったですね。夜もあんまり寝なかったですね。それこそ「神の子無限力」だったですね。その頃は生長の家本部は赤坂にありました。よく赤坂の本部の早朝神想観に通いました。私は1年半で短大を卒業しましたが、全く就職をする気も起こらず、再び北海道の町村農場にもぐり込みました。
