8月16日(北海道に家出、牧場で「生長の家」に)

家出先の牧場で「生長の家」の御教えを知らされる。
合掌 ありがとうございます。
 私は終戦後、北海道の千歳・美幌の航空隊から、九州宮崎の郷里に復員しましたが、今まで命をかけてお国のために尽くして来たのに、郷里に帰っても理想もなく、仕事もなく怏々として楽しくない生き甲斐のない生活をしていました。
 そうした折りに、ふとしたことから、現実の面白くない、生き甲斐のない世界を去って遠くへ行こうという気が起こりました。遠くへ行けば何か気が紛れるかもしれぬと思いました。家出ですね。「家出」は「出家」に通じますね。(笑い)
 終戦直後は外国へは行けない時代です。九州から一番遠くといえば北海道ですね。北海道はなつかしい所であるとの感がありました。
 それは終戦の翌年・昭和21年6月のことです。私は家を飛び出して、あの千歳・美幌の航空隊から復員して帰宅した元の道を戦後の列車に乗って、乗って、度々乗り次いで、乗り継いで、札幌へ行きました。その時の感じは「ああ遂に来た、来た」という感じでした。
 北海道へ来ていろいろなことがあって、私は牛の牧場へもぐり込みました。その牧場は「町村農場」という日本一の立派な農場でした。今でもその牧場は健在です。その牧場で私は牧夫として、牛の世話・搾乳(手しぼり)・畑仕事・馬の世話など、生まれて初めての生活を体験しました。この農場の生活はまことに天国のような楽しい生活でした。私は進んで、牛の世話・乳搾り・牛の糞掻き・牧草の刈り入れ・馬の世話・馬車での荷物運び等々々を体験しました。
 ある日、一人の青年が農場に来ました。高橋君です。実は高橋君がリュックにいっぱい御本を背負っていました。その御本が生長の家の聖典でした。高橋君と私は次第に仲良しになりました。高橋君が私にその御本『生命の実相』を読め読め読めとすすめてくれました。高橋君は朝は皆よりも早く起きて、お祈りをしていました。神想観です。
 私はこの御本を拝読して感動しました。私の人生、今まで読んだこともない、聞いたこともない真理の御本でした。私は感動々々でした。そして思ったことは「僕は将来、これで生きて行くことになるだろう。」という思いでした。
 以上が私が生長の家の御教えに触れた最初の経緯です。