8月17日ー2(2度目の町村農場から東京へ、大学生になって、青年会活動、谷口雅春先生の御文章に感動)
再び「町村農場」へ
東京で短大を卒業しましたが、私は全く就職しようとの気持ちが起こらず、再び北海
道の「町村農場」へ行きました。突然の潜り込みでしたが、農場ではあたたかく迎え入
れてくださいました。 その当時はまだ自動車は普及しておらず、、牧夫には作業用・仕事用に一頭ずつ馬(
馬車付き・農機具つき)が与えられていました。
私に与えられた馬の名は「鶴首(つる くび)」です。首が鶴のように長い馬です。
その「鶴首」は非常に個性的で、なかなか飼い主の言うことを聞かず、右に手綱を引
けば左に歩き、左に引けば右へ行くといったような、なかなか扱いにくい馬ちゃんでし
た。 それでも私は1年間つきあいました。言うことを聞かなくても何となく可愛い馬ちゃん
でした。
一年間、このような体験をして私は再び東京に舞い戻って来ました。そして生長の家
青年会活動に熱心に取り組みました。また私は短大を卒業していますので、四年生大学
の三年に編入試験をうけました。早稲田大学には受験不合格、明治大学の政治経済学部
三年に合格しました。勿論、夜間部です。ここでまたアルバイトをしながら大学夜間部
に通学、そして生長の家青年会の活動を熱心に行いました。よくもまあ、こんなに熱心
に生長の家青年会活動をやるもんだと、自分でも感心感動しました。
その頃、谷口雅春先生の御文章を拝読し、感動・感動・感動しました。その御文章は
今は『真理』第四巻「青年篇」に掲載されています。
第十七章「献身の美徳について」の中に、特攻の青年を讃えて次のような御コトバが
数カ所あります。
「彼らにとっては殉教は肉を超えて霊的勝利に到達するために選ばれた唯一の道であっ
たのであります。私は彼らを礼賛する。」
私はこの御文章を拝読して、この上もない感動に身も心も震える思いが致しました。
それは戦後の世の中では、特攻で死んだ青年は可哀想な犬死にであった、というような
風潮がみなぎっていたからです。
私は本当にあらためて、この尊い素晴らしい生長の家の御教えのために自分の全生命
を捧げようとの決意をしました。
