
今日は木曜休日です。ぼーっとしていますと、なんとなく自分の子供の頃のことを想い出しますね。僕は宮崎県の住吉小学校に一年生入学したのでした。僕の父が校長先生でした。そして2年生になった時、父の転勤で今度は吾田小学校に転校しました。
そして4年生が終わったとき、父は定年退職になりました。それでまた僕は今度は油津小学校に転校し、5年生と6年生と2年間いて小学校を卒業したのです。つまり僕は小学校を3つ通学したのですね。何となく楽しく面白かったですね。
そして次ぎに旧制の飫肥中学に受験入学しました。そして2年生の時、昭和16年12月8日、大東亜戦争が始まりました。学校に登校してみたら、学校の掲示板に真珠湾攻撃の写真と記事の新聞が張り出されていました。これは感動でしたね。僕はその時、決意したことを今でも覚えています。「僕は海軍軍人航空兵になるぞ」と。
その2年後、昭和18年10月1日に僕は海軍飛行予科練習生(予科練)に志願入隊しました。予科練で飛行機の操縦訓練を受け、戦局の急迫とともに、「特攻隊」の編成となりました。戦時中はいろいろなことがありましたが、結局、尊い「終戦の御詔勅」によりまして戦争終結となったのでした。茨城県の霞ヶ浦海軍航空隊に居た時です。
終戦になりましたが僕の所属していた航空分隊は、終戦になってから北海道の千歳航空基地・美幌航空隊に移動しましたですね。(この移動は何処からの命令であったのか今でもわかりませんですね)
まあ過去にこういうようなことがあって、日本国も幾変遷して今日があるわけですね。戦後、僕は北海道の乳牛の牧場で働いて居たときに、「生長の家」の御教えを友達から知らされたのでした。そしてこの尊い御教え「生長の家」こそ生涯の生き甲斐と感じて今日まで生きて来たのでした。
真理というものは素晴らしいですね。御教えは「時代即応」ということをしみじみと感じますね。『生命の実相』の真理そのものは永遠不滅、いささかも変わることはありませんが、現実の世界救済のためには「時代即応」ですね。
今の時代は地球環境保全ということが極めて大事な時ですね。今の時代の「運動方針」をしっかり理解し、身を挺して尊い生長の家の御教えをもって、世界の全ての人々に伝道し、地球環境保全・人間神の子の真理を広めて行くことが大切であると、僕自身しみじみと感じる毎日です。
今日は木曜休日、自宅でぼーっとして色々な過去のこと等を思い起こして、自分に与えられた人生の使命というもの、今、何を為すべきかをしみじみと感じているところです。
尊い生長の家の御教えは谷口雅春先生・谷口輝子先生ーー谷口清超先生・谷口恵美子先生ーー谷口雅宣先生・谷口純子先生と法燈継承されていますね。
私達は「中心帰一」の真理を深く理解し、喜びをもって、明るく楽しく、生長の家「人類光明化運動」「国際平和信仰運動」「地球環境保全」の運動を進めて行かねばならぬと決意を新たにしているところであります。ありがとうございます。感謝合掌。