8月2日(終戦になって千歳基地・美幌基地へ移動)

終戦になってから、尚も航空戦陣へと。
 私が所属していました海軍航空隊員は約30名、8月15日の終戦になっても尚、敗戦を自覚せず、終戦前の計画の通り霞ヶ浦航空基地から北海道の千歳航空基地に移転しました。汽車に乗ってです。途中で多くの陸軍の兵隊さん達が、戦争を終わって荷物を背負って故郷に復員するのに出会いました。吾が海軍航空隊はこれから最後の決戦の自覚です。
 ところが千歳の航空基地に行ったのですが、飛行機は一機もありませんでした。毎日ぶらぶらと御飯だけを食べて過ごしました。航空機の操縦搭乗員が地上で為すこともなくぶらぶらと生活していることはとても耐えられないことです。
 一週間ほど千歳に居ましたら次ぎにまた何処からか命令が来て、私の航空分隊は同じ北海道の美幌航空基地に移動しました。しかし此処にも航空機は一機もありませんでした。また此処で一週間ほどぶらぶらしていましたら、今度はまた命令がありました。何とその命令は「戦争が終わったから皆自分の故郷に帰れ」という命令でした。
 私はその時思いました。嗚呼本当に戦争は終わったんだなあと。
そして30名の航空隊員一同はぞろぞろと汽車に乗って郷里に帰りました。隊員は殆どが九州と中国地方の出身でありましたから、戦後の混乱の中を汽車に乗って、乗り継ぎ乗り継ぎして何日も何日もかけて故郷に帰還しました。それから青年達一同は戦後の生活を始めることになったわけです。勿論私もそうです。郷里の宮崎県に帰って戦後の空虚な生活を始めることになったのです。